2025年7月16日
【黄金の国ジパング】ジパングと日本が呼ばれた由来と“嘘”の真相を徹底解説!
金・貴金属について

「黄金の国ジパング」。
歴史の授業や小説の中で、一度は耳にしたことがある人も多いのではないでしょうか。昔のヨーロッパの人々にとって、日本は“金があふれる夢の国”として語り継がれてきました。けれど、なぜ遠く離れた海の向こうの小さな島国が、“黄金の国”と呼ばれるようになったのでしょうか。
マルコ・ポーロの『東方見聞録』に登場したジパングの物語は、真実と誤解が入り混じったまま、数百年にわたって世界中に語り継がれました。嘘だと言われる部分もあれば、確かに金の豊かな国だった証拠もあります。
この記事では、日本が「黄金の国ジパング」と呼ばれるようになった理由や、『東方見聞録』との関係、実際の日本との違いなどをまとめてみました。かつての伝説は、今の私たちにどんな意味を残しているのでしょうか。ぜひ最後までお付き合いください。
目次
1.黄金の国ジパングとは?

「黄金の国ジパング」と聞くと、どこか神秘的で特別な響きがあります。遠い昔、ヨーロッパの人々は海の向こうに“金があふれる島国”が存在すると信じていました。
それが、私たちの国「日本」です。
でも、なぜこの小さな島国が“黄金の国”として語り継がれたのでしょうか。この章ではまず、「ジパング」という名前の意味と由来、そして“黄金の国”と呼ばれた理由をひも解いていきます。
1-1.ジパング(Zipangu)の意味と由来
「ジパング(Zipangu)」という名前は、イタリアの探検家マルコ・ポーロが記した『東方見聞録』と呼ばれる旅行記で使われた言葉です。『東方見聞録』では「Cipangu(チパング)」と表記されており、中国語で日本を意味する「ジーベン(日本)」などが転じて伝わったとされています。
マルコ・ポーロ自身が実際に日本を訪れたわけではなく、彼は中国の元(モンゴル帝国)で聞いた話をまとめてヨーロッパに紹介したといわれています。
この記録を通して、海の彼方にある“ジパング”という国が、ヨーロッパの人々にとって夢と黄金の象徴のように広まっていきました。
1-2.なぜ日本は「黄金の国ジパング」と呼ばれたのか
では、なぜ日本が“黄金の国”とまで呼ばれるようになったのでしょうか。
実際の日本は古くから金が採れる国として知られていました。平安時代に建立された岩手県の中尊寺金色堂は、内部が金箔で覆われており、まさに“黄金の国”を体現したような存在です。
また、江戸時代には佐渡金山が発見され、長く金の産出地として栄えました。こうした実際の金文化に、旅人の噂や伝聞が重なり、ヨーロッパには「日本は宮殿の屋根まで金で覆われている」という誇張された話が伝わったといわれています。もちろん、すべてが事実というわけではなく、誇張された部分も多く含まれていました。
ですが、この伝説があったからこそ、多くの探検家たちが「黄金の国ジパング」を夢見て大海原へと旅立ったとも言われています。“黄金の国ジパング”という呼び名は、実際の金の歴史と人々の想像が混ざり合って生まれた物語でしたが、それを世界に広めた『東方見聞録』との関係を次に見ていきましょう。
2.東方見聞録と「黄金の国ジパング」の関係

「黄金の国ジパング」という伝説をヨーロッパに広めた最大のきっかけが、マルコ・ポーロの『東方見聞録』です。では、彼はどのようにして日本を知り、どんな物語を語ったのでしょうか。
ここでは『東方見聞録』とはどんな書物だったのか、その中でジパングがどのように描かれ、当時の人々がそれをどう受け止めたのかを見ていきましょう。
2-1.東方見聞録とは?
『東方見聞録』は、13世紀に活躍したヴェネツィアの商人マルコ・ポーロが、アジアでの体験を口述し、当時の作家ルスティケロ・ダ・ピサがまとめた旅行記です。正式名称は『世界の記述(イル・ミリオーネ)』とも呼ばれています。
マルコ・ポーロは中国の元(モンゴル帝国)の皇帝フビライ・ハンの宮廷に仕え、アジア各地を旅してさまざまな話を聞きました。当時のヨーロッパでは未知の東方世界に対する関心が強く、『東方見聞録』は長く人々の好奇心をかき立てる一冊として広まりました。
2-2.マルコ・ポーロはなぜジパングを伝えたのか
実は、マルコ・ポーロ自身は日本の地を踏んだことはなかったと言われています。彼が語ったジパングの話は、元の宮廷で耳にした伝聞や噂がもとになっていました。
当時の中国(元)では、日本は金の豊かな島国だと信じられていました。さらに、皇帝フビライ・ハンが日本に遠征した「元寇」の話も広く知られており、その存在が“海の向こうの黄金の国”として人々の関心を集めていたのです。
こうした話を現地で耳にしたマルコ・ポーロは、それらをまとめて『東方見聞録』の中に“黄金の国ジパング”として記しました。
2-3.東方見聞録に描かれたジパングの内容
『東方見聞録』の中でジパングは、アジアの東の果てにある大きな島国として登場します。
また、ジパングでは黄金を惜しげもなく使い、装飾品や建築にまで贅沢に用いていると紹介されています。これらの記述は一部の事実をもとにしていると考えられていますが、旅人の噂話が大きく誇張されて伝わった部分も少なくありませんでした。
2-4.当時のヨーロッパでの受け取られ方
『東方見聞録』に描かれたジパングの物語は、ヨーロッパの人々にとって夢のような話だったと言われています。
金は当時のヨーロッパでは権力の象徴でもあり、「海の向こうに金があふれる島国がある」という話は、探検家たちの冒険心を強くかき立てました。
コロンブスも“ジパングを目指した”と言われるほど、この物語は後の大航海時代にまで影響を残しました。“黄金の国ジパング”は、こうして『東方見聞録』を通じて人々の想像をふくらませ、歴史を動かす伝説になったのです。
『東方見聞録』によって広まったジパングの物語は、事実と誤解が入り混じっていた部分も多かったようです。では、そもそも実際に「ジパングはどこだったのか」。“ジパング=日本じゃない説”についても次章にて触れていきます。
3.黄金の国ジパングはどこ?日本じゃない説

『東方見聞録』を読んだ人々が「ジパングってどこにあるんだろう?」と考えたのは自然なことでした。当時のヨーロッパでは、“黄金の国”と呼ばれたこの島国が本当に日本なのか、実は別の場所なのではないかといった説もささやかれていました。
ここでは、ジパング=日本と言われる理由や、地理的な誤解が生まれた背景、そして伝説を形づくった実際の金の産地についても触れていきます。
3-1.ジパング=日本と言われる理由
『東方見聞録』の中でジパングは“アジアの東の果てにある大きな島”として描かれていました。この位置のヒントが、中国の東にある島国=日本と一致したことで、ヨーロッパでは自然と「ジパング=日本」という考えが広まったと言われています。
また、元寇の話や当時の金文化の噂が重なり、探検家たちにとっても「日本こそが黄金の国だ」と考える理由になったようです。
3-2.地理的な誤解と「日本じゃない」説
一方で、「ジパングは実は日本ではないのでは?」という説も残っています。
マルコ・ポーロが自ら足を運んでいないこと、当時の地図技術では正確な位置がわからなかったことなどが、地理的な誤解を生んだ理由とされています。
“東の果てに黄金の国がある”という噂だけが先行したことで、ヨーロッパの人々の中には「本当はどこか別の島ではないか」と考える人もいたようです。
3-3.実際に金が採れた場所と伝説
「日本じゃない」説があったとはいえ、完全に根拠がなかったわけではありません。当時の日本には、伝説を裏づけるような金の産地が確かに存在していました。
3-3-1.中尊寺金色堂
岩手県にある中尊寺金色堂は、平安時代に建てられた仏堂で、内部の柱や壁、天井にまで金箔が施された豪華な造りが特徴です。この輝く堂が「日本=黄金の国」というイメージを強く印象づけたと言われています。
3-3-2.佐渡金山
新潟県の佐渡島にある佐渡金山は、江戸時代に開山されてから長く金の採掘が行われてきました。特に江戸幕府の財政を支えた金山としても有名で、「日本は実際に金が採れる国」という信憑性を当時の人々に感じさせる一因になったと言えるでしょう。
“黄金の国ジパング”がどこなのかという問いには、日本の豊かな金文化と地理的な誤解が複雑に絡んでいたことがわかります。では、ジパング伝説にはどんな誤解や嘘が混ざっていたのでしょうか。次の章では、伝説の裏側に迫ります。
4.【事実と誤解】黄金の国ジパングは嘘だった?

「黄金の国ジパング」は、遠い海の向こうにある夢のような国として語り継がれてきました。しかし、すべてが真実だったわけではなく、誇張や誤解も数多く含まれていたと言われています。
ここでは、なぜ“嘘”だと指摘されるようになったのか、どんな話が実際とズレていたのかを具体的に見ていきます。
4-1.黄金の国ジパングはなぜ“嘘”と言われるのか
『東方見聞録』に書かれたジパングの物語は、先述した通り多くがマルコ・ポーロが中国で耳にした噂話をもとにしていたとされています。
当時のヨーロッパの人々にとっては衝撃的で、事実以上に大きく広まってしまいました。
実際には、金の産出はあったものの、宮殿の屋根全体が金で覆われていたという証拠はなく、伝わった話の多くは誇張されたものだったと考えられています。
4-2.食人文化や香辛料の謎の記述
『東方見聞録』には、ジパングの人々が人を食べる文化を持っているという記述も残されています。これは完全に誤解であり、当時のヨーロッパ人が異文化を理解できなかったことで話が歪められたとされています。
また、香辛料が豊富に手に入る国という話もありましたが、これも東南アジアの話と混同された可能性が高いと考えられています。
こうした刺激的なエピソードが混ざったことで、「黄金の国ジパング」という伝説はさらに神秘性を増し、実際以上のイメージを人々に植えつける結果になりました。
4-3.日本文化と記録のズレ
実際の日本の文化を振り返ると、『東方見聞録』に書かれているような話とは異なる点が多くありました。
たしかに、平安時代から金箔を仏教建築や装飾に使う文化は発達していましたが、国全体が金で覆われていたわけではありません。
また、人を食べるといった習慣もなく、香辛料が特別に豊富だったわけでもありませんでした。つまり、ジパングという物語には一部の事実が含まれているものの、そこに当時の人々の想像や誤解が重なって“黄金の国”という伝説が作られていったのです。
5.海外の反応|現代の黄金の国ジパングのイメージ
かつてヨーロッパで夢のように語られた“黄金の国ジパング”は、現代の海外ではどのように知られているのでしょうか。ここでは「Zipangu」という名前の使われ方や、今の海外の人々がどのように“黄金の国”としての日本を見ているのかを紹介します。
5-1.「Zipangu/ジパング」という名前は現代でどう使われているか
「Zipangu」という呼び名は、現代でも意外なところに残っています。
例えば、日本を象徴する和風ブランドや、伝統文化を打ち出すお土産商品に“Zipangu”という名前が使われることがあります。また、歴史や日本文化をテーマにした観光キャッチコピーでも“ジパング”という言葉が用いられることがあり、古い伝説の響きを活かしたマーケティングとして活用されています。
こうした使われ方を見ると、ジパングという名前が単なる昔話ではなく、日本の文化やブランドの一部として今も生き続けていることがわかります。
5-2.現代の海外での日本=黄金の国のイメージは?
今の海外の人々は日本に“黄金の国”という印象を持っているのでしょうか。
実際には、“金があふれる国”というイメージがそのまま残っているわけではありません。しかし、経済的に豊かで技術や文化の最先端を行く国という印象は、今も多くの国の人々に根付いています。
一部では、伝統的な金箔文化や豪華な神社仏閣が紹介されることで、“日本=金が美しく使われている国”という側面を知る人もいます。
ジパングという呼び名があったからこそ、「日本は昔から特別な国だ」というイメージにつながっているのかもしれません。
5-3.ジパング伝説が現代に残す影響
“黄金の国ジパング”という言葉は、ただの歴史上の伝説に留まっているわけではありません。コロンブスなど、かつて多くの探検家を海へと駆り立てたこの物語は、今も日本の文化的価値を語るときに面白いエピソードとして紹介されます。
また、日本の観光資源や伝統産業において、ジパングという言葉が持つ“特別感”が活かされる場面もあります。こうしてみると、誇張や誤解を含んだ伝説だったとしても、“黄金の国ジパング”は日本という国の魅力を伝える小さな力になり続けているのです。
6.【まとめ】黄金の国ジパングが今に伝えるもの
“黄金の国ジパング”という呼び名は、もともとは誇張や誤解も混ざった伝説でした。
しかし、その物語が海を越えて多くの人々を動かし、歴史の中で日本を特別な国として印象づけてきたことは間違いありません。
実際に金が豊かに産出された歴史や、それを活かして生まれた文化は、今も日本の大きな魅力の一つです。昔の人々が夢見た“ジパング”という名前は、私たちが自分たちの国の価値を見つめ直すきっかけをくれるのかもしれません。
これからも、伝説と歴史が交わる物語として、“黄金の国ジパング”はそっと日本を照らしてくれるでしょう。
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