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2023年3月09日

【洗練の象徴】グランサンクとは?歴史や各ブランドの魅力を徹底解説

古代エジプト時代に、悪霊などの外的から身を守る魔除けとして身につけられていた装身具が時代と共に形を変え、現代ではファッションとしての宝飾品となり、人々から愛されるようになったといわれているジュエリー。
今では数多く存在するジュエリーブランドの中でも、特に一流とされるジュエリーブランドに与えられた2大タイトルがあります。
それが「世界5大ジュエラー」と「グランサンク」です。

「世界5大ジュエラー」という名を耳にしたことがある方は多いのではないでしょうか。対してあまり知られていない「グランサンク」ですが、フランスを代表する一流老舗ブランドの総称であり、セレブ御用達のハイジュエラーです。
ではそのグランサンクに属するジュエリーブランドとは?その魅力はどこにあるのか?
ここではグランサンクについて、その歴史的背景や世界5大ジュエラーとの違い、2大タイトルを冠する各ブランドの歴史や魅力、おすすめのシリーズを徹底解説します。
「人と被らないジュエリーが欲しい」「そのブランドの歴史も知った上で購入したい」そんな方にも必見です。

目次

1.ヴァンドーム広場の偉大なる高級宝飾店「グランサンク」

出典:wikipedia

ファッションの街パリにあるヴァンドーム広場。
1702年にルイ14世の栄光を称える為に作られた歴史的な広場で、当時は上流階級の邸宅として広まり、ココ・シャネルが30年間住み続けたホテル「オテル・リッツ」があり、作曲家のフレデリック・ショパンも自身の最期の地としてこのヴァンドーム広場に住み39歳の生涯を終えました。
そして現在このヴァンドーム広場は、世界各国を代表するジュエリーブランドが一堂に会する世界的に有名な広場となっており、その中でも歴史的に認められたフランス発祥の一流ジュエリーブランドのみが「グランサンク」と称されています。

グランサンクは、フランス語で「Les Grand Cinq」と表記し、直訳すると「Grand(グラン)=偉大な」「Cinq(サンク)=5つ」となり、その名の通りフランス・パリを代表する偉大な5つのジュエリーブランドの総称であり、「パリ5大宝飾店」や「フランス高級宝飾店協会」とも呼ばれています。
その「グランサンク」である5つのジュエリーブランドが「メレリオ・ディ・メレー(MELLERIO dits MELLER)」「ショーメ(Chaumet)」「モーブッサン(MAUBOUSSIN)」「ブシュロン(BOUCHERON)「ヴァンクリーフ&アーペル(Van Cleef & Arpels)」で、その全てが創業100年をゆうに超える老舗ジュエラーで結成されています。

グランサンクは1940年代から活動を始め、1947年頃に正式に結成されました。結成から数十年間は創業家たちによる会合や、オテル・リッツでの合同新作発表会の開催などの活動を行っていましたが、5つのジュエラーのうちメレリオ・ディ・メレーを除く4つのブランドの創業一族が第一線を退いたことから、現在では活動はほぼ行われなくなりました。
その為、現在パリで「グランサンク」の名を出しても伝わらないこともあるようですが、一流高級宝飾店が立ち並ぶヴァンドーム広場でこれまで100年以上に亘りメゾンを構え続けるほど根強い人気を誇り、フランス宝石史を担ってきた老舗中の老舗である5つのジュエラーは、今もなお世界中の人々から愛され続けています。

ちなみに、現代では「世界5大ジュエラー」と称されるパリのジュエリーブランド「カルティエ(Cartier)」も、1990年代初頭まではグランサンクのひとつでした。しかし、ヴァンドーム広場からフォーブル・サントレーノへメゾンを移転したためグランサンクから脱退し、その代わりにメレリオ・ディ・メレーが加入しています。このカルティエの脱退に関しては諸説あり、カルティエ側が元より「グランサンク」として他のジュエラーとひとまとめにされることを懸念しており、そんな中でメゾンの移転を機に自ら脱退したという説もあれば、ヴァンドーム広場から移転するなら…と脱退を余儀なくされたカルティエは、後にヴァンドーム広場へ再びメゾンを戻しましたが、グランサンク側が再加入を拒否したという説も…。
真相は定かではありませんが、どちらにしても脱退、加入が容易くできるほど「グランサンク」の称号は軽くなく、その冠が付くことは当時のジュエリー界においてとても大きな意味のあることだったことが伺えます。

 

2.グランサンクと世界5大ジュエラーの違いを解説

出典:allabout

上述通り「グランサンク」は、ヴァンドーム広場にメゾンを構えるフランスを代表する老舗一流ジュエリーブランドの総称ですが、それとは別に世界的に有名な5つのジュエリーブランドを「世界5大ジュエラー」と呼びます。

「グランサンク」である5つのジュエリーブランドのうち、「ショーメ」「ヴァンクリーフ&アーペル」「ブシュロン」は日本でもとても有名で、婚約指輪を選ぶ際の候補に挙がることも多いですが、「メレリオ・ディ・メレー」「モーブッサン」に関しては、その名を知らない方も多いのではないでしょうか。
上記5つ全てのジュエリーブランドにおいて歴史的、技術的にも洗練されたハイジュエラーであることに違いはありませんが、対して「世界5大ジュエラー」を冠するジュエリーブランドは、その名を知らない人はいない程の抜群の知名度を誇る、世界を代表するトップジュエリーブランドです。

その「世界5大ジュエラー」が、「ハリーウィンストン(HARRY WINSTON)」「ティファニー(TIFFANY & Co)」「ブルガリ(BVLGARI)」「カルティエ(Cartier)」「ヴァンクリーフ&アーペル(Van Cleef & Arpels)」の5つのジュエリーブランドです。

自ら結成し活動を行ってきた「グランサンク」とは対照的に、そのあまりの知名度から自然とそう呼ばれるようになった「世界5大ジュエラー」
それぞれの背景や歴史に違いはあるものの、世界中のセレブたちが晴れの舞台や授賞式などで使用しているジュエリーのほとんどがこの2大タイトルのものになります。

グランサンク 世界5大ジュエラー
メレリオ・ディ・メレー
ショーメ
モーブッサン
ブシュロン
ヴァンクリーフ&アーペル
ハリーウィンストン
ティファニー
カルティエ
ブルガリ

 

3.「グランサンク」各ブランドの歴史と魅力

これまで「グランサンク」の歴史的背景について紹介してきましたが、ここでは各ブランドの歴史と魅力について深掘りしていきます。

3-1.メレリオ・ディ・メレー(MELLERIO dits MELLER)

出典:MELLERIO dits MELLER

メレリオ・ディ・メレーの創業は400年以上前に遡り、現存する最古のジュエリーブランドです。長きに亘り王室御用達のジュエリーとして親しまれ、現在は改名されて「メレリオ(Mellerio)」として今もなお確固たる地位を築いています。

その歴史は、元々イタリアで宝石商をしていたメレリオ一家がパリに移住した1515年から始まります。
その100年後の1613年、メレリオ一家がルイ13世の暗殺計画を阻止した報奨として、ルイ13世の母で当時の摂政であったマリー・ド・メディシスにより「フランス全土で制約なしに商売を行って良い」という特権を与えられ、メレリオ・ディ・メレーが創業しました。移民であるメレリオ一家に与えられたこの特権は、当時では類を見ない極めて異例の特権でした。

その後、宮廷へも出入りし商売をすることが許されたメレリオ・ディ・メレー。ある日、当時の王妃であったマリー・アントワネットは、ベルサイユ宮殿の門前で宮廷に出入りする貴族や貴婦人に宝石を売るひとりの少年と出会い、その少年が持つあまりに美しい宝石に目を奪われました。その少年こそが、当時15歳でメレリオ・ディ・メレーの宝石商だったジャン・バディスト・メレリオでした。こうして奇跡的にも、メゾンの最初の王室の顧客がマリー・アントワネットとなり、それ以来メイリオ・ディ・メレーの名声はフランスのみならずヨーロッパ全土へと広がり、「王妃のジュエラー」として各国の王室御用達のジュエラーとなりました。

メレリオ・ディ・メレーの卓越した技術と創造性が生み出した技術のひとつに「メレリオカット」があります。
自然界に存在する「形」の中で最も美しく安定しているといわれる「卵型」。ダイヤモンドを卵型にカットするには、類まれなる技術と工夫が必要でした。そこでメレリオ・ディ・メレーは、ダイヤモンドを57面にカットすることでその形を再現し、更に光を最大限に取り込んで美しく輝きを放つ「メレリオカット」を生み出しました。この「メレリオカット」は2005年に特許を取得し、今では一目見ただけでメレリオ・ディ・メレーのデザインであると分かるほど、メゾンを象徴するデザインとなり、特にこのカットによって作られた結婚指輪は女性たちの憧れとなっています。

メイリオ・ディ・メレーは、「グランサンク」の中で創業から現代まで14代にわたり創業一家が経営を続けている唯一のメゾンであり、先祖が残した宝飾品への想いや技術を今もなお継承し続けています。
日本国内では他のジュエラーと比べて知名度こそ高くはないものの、由緒正しい歴史あるメレリオ・ディ・メレーのジュエリーは、フランスを始め世界各国からその伝統を賞賛され、愛され続けています。

3-2.ショーメ(Chaumet)

出典:Chaumet

一流と呼ばれるジュエリーブランドには、それに見合ったブランドヒストリーが存在します。これから紹介する「ショーメ」もそんなジュエラーのひとつで、創業者であるマリ=エティエンヌ・ニトはある運命的な出会いから、「ショーメ」を世界的に有名なジュエラーへと発展させます。

時は1780年のパリ。当時マリ=エティエンヌ・ニトはサントノレ通りで小さな宝石店を営んでいました。ある日、そんな彼女のブティックの前で馬車馬が突然暴れ出し転倒する事故が起き、ニトはすぐに駆けつけその馬車から騎手を救い出します。その騎手こそが、若き日のナポレオン・ボナパルトでした。
ニトは彼がナポレオンであることには気づかず、それにも関わらず自身の店で懸命な手当を行いました。ナポレオンはそんな彼女へ深く感謝するとともに、その時店に置かれていた美しいジュエリーに感銘を受け、「いつか必ず恩返しをする」と言い残し、店を去って行ったとのこと。
その後、皇帝となったナポレオンが、自身の妻で皇后であるジョゼフィーヌ・ド・ボアルネへ授けるティアラの製作をニトへ依頼し、「ショーメ」はナポレオン公認の皇室御用達のジュエラーとなりました。後に世界中の貴族のティアラを手がけることになった「ショーメ」の物語は、このたったひとつの運命的な出会いから始まったのです。

ショーメはこれまで3000個以上にも及ぶティアラを製作してきたと言われており、当時の貴族の結婚式に深く関わり、愛の瞬間を彩ってきました。その伝統は長きに亘り受け継がれ、現代でも数多くのブライダルコレクションを手がけています。

女性であれば誰もが一度は憧れるプリンセス。
200年以上前のあの日、愛するナポレオンからティアラを授かったジョゼフィーヌを始めとし、数々のプリンセスたちはショーメのティアラと共にどんな愛の瞬間を過ごしてきたのでしょうか。
そんな愛の歴史を持つショーメが手がけるブライダルジュエリーは、現代もなお花嫁たちの憧れの的となっています。
「身につける全ての女性をプリンセスにするジュエリー」
ショーメのジュエリーは、女性たちに自信と永遠の愛を信じる力を与えてくれます。

3-3.モーブッサン(MAUBOUSSIN)

出典:MAUBOUSSIN

「モーブッサン」はフランスで3番目に古い歴史あるジュエリーブランドです。激動の時代を生き抜く中で、価値がないとされていた「原石」が持つ美しさを信じ続け、モーブッサンが生み出す革新的でエキゾチックなデザインが世界から評価されるようになり、その名は一流老舗ジュエラーとして現代まで受け継がれてきました。

モーブッサンは、1827年にムッシュ・ロシェがジャン・パティスト・ヌリと共にアトリエを創業したことから始まります。
当時のパリは現在の華やかなイメージとはかけ離れており、コレラの大流行や不作による食糧事情の悪化、物価上昇により市民の暴動が発生するなど激動の時代でした。
そんな時代の中でアトリエを創業したばかりのモーブッサンは、ジュエリー制作に高価なホワイトダイヤモンドを使用することは難しく、そこでムッシュ・ロシェが目をつけたのがルビー、サファイヤ、エメラルドなどの「カラーストーン」でした。
今でこそジュエリーの定番の宝石として多く使用されているカラーストーンですが、当時その価値は殆どないとされており、カラーストーンがジュエリーに使用されることはありませんでした。そんな中ムッシュ・ロシェは、その原石が持つ美しさをいち早く見抜き、その鮮やかさと彼の独創的なデザインを融合させ、ホワイトダイヤモンドでは表現できない色鮮やかなジュエリーを制作しました。
このカラーストーンを使用したジュエリーはそれまでのジュエリーの価値観を大きく覆し、その鮮やかさと大胆なデザインに多くの人々が魅了され、これをきっかけにモーブッサンはパリの貴族間でハイジュエラーとして認知されるようになりました。

このようにパリでは洗練されたジュエラーとして認知されてきたモーブッサンですが、その名が世界的に有名になったのは創業からおよそ100年後の1925年のパリ万国装飾美術博覧会でした。
モーブッサンはこの万博で、カラーストーンをふんだんに使用した大胆で革新的なジュエリーを出展し、見事金賞を受賞。その圧倒的な存在感と華やかさに世界中の王族、貴族たちが衝撃を受け、「カラーストーンジュエリーの第一人者」として瞬く間にモーブッサンの名が世界に広まりました。その後も数年ごとにカラーストーンジュエリーの展示会を行い、その度に世界中でニュースとなりその知名度を飛躍的に高ると同時に、カラーストーンの価値も世界に広めることに成功しました。
そして1946年、ヴァンドーム広場へメゾンを移転し、「グランサンク」としての活動を始め、フランス5大宝飾店としての地位を確立させました。

ちなみに、世界では抜群の知名度を誇るモーブッサンが日本に初出店したのは2006年でした。
これまでも革新や挑戦を止めないモーブッサンでしたが、日本での初出店もまたこれまでに類を見ない方法で行なわれ、「0.10ctのダイヤモンドを5000人限定で無料プレゼントする」という大胆なキャンペーンは日本中で話題になりました。

激動の時代の中で、人々が価値がないとしたものの持つ価値を見い出し、世界に認めさせたモーブッサン。
伝統を守りながらも新しい時代を反映させたデザインは、日本でもファッショナブルな女性達から人気を博しています。
「伝統と革新の融合」
本来相交えないふたつの価値観を持ち合わせるモーブッサンは、この先の時代もその独創的なジュエリーで私たちの日常を彩ってくれることでしょう。

3-4.ブシュロン(BOUCHERON)

出典:BOUCHERON

ハイジュエラーたちが共通して兼ね備えている「卓越した技術」「創造性溢れるデザイン」
「ブシュロン」もまたそのうちのひとつで、世界中の人々を虜にし続けているパリの名門ジュエラーです。
しかし「ブシュロン」がなぜ名門ジュエラーとしての地位を不動のものとしたのか。それには、技術やデザイン性はもちろんのこと、創業者が持つ「先見の明」が深く関わっていました。

「ブシュロン」の歴史は古く、創業者であるフレデリック・ブシュロンが1858年にパレ・ロワイヤルにて最初のブティックをオープンしたことから始まります。
当時から多くの革新的なデザインを生み出し、ファッションに敏感なパリの人々を虜にしてきたブシュロンは、1867年のパリ万国博覧会で金賞を受賞。その後も1878年、1889年のパリ万国博覧会でもグランプリを受賞するなど、ジュエリー界でその名を轟かせてきました。
そして今でこそ「洗練の象徴」とされているヴァンドーム広場ですが、当時は邸宅としてのイメージが強く、ジュエラーとはかけ離れていたその場所に、最初にブティックを構えたのがこのブシュロンでした。ブシュロンがブティックを構えた26番地は、ヴァンドーム広場の中で最も日当たりが良く、ウィンドウに飾られたジュエリーがその光を取り込み美しく輝きます。また、邸宅としての雰囲気をあえて残してブティックをデザインしたため、訪れた人々にまるで友人宅に招かれたような温かい印象を与えます。
その噂は瞬く間に広がり、ブシュロンの出店を皮切りに数多くのジュエラーがこぞって出店し、ヴァンドーム広場は一流ジュエラーの象徴となったのです。

フレデリック・ブシュロンの先見性はブティックの立地に留まらず、そのデザインにも表れています。
織物商の息子として生まれたフレデリックは、14歳の頃にジュエラーの見習いとなり、ジュエリーの世界への一歩を踏み出しました。幼少期からシルクやレースなど織物のなめらかさと軽やかさに慣れ親しんでいたフレデリックは、それをゴールドで表現する試みを続けました。
当時ゴールド性のジュエリーは重厚であるほど良いとされ、格式高い物であるべきだという風潮がありました。
そんな中フレデリックは、アシンメトリーなデザインで留め金がなく羽織るように身につけられるネックレスや、ゴールドの重さを忘れひらひらと風に舞うような繊細な羽根をモチーフにしたネックレスなど、当時の常識を覆す革新的なデザインを生み出し、ジュエリー界に新しい風を吹き込みました。

そんな革新的なデザインは現代まで受け継がれ、個性的ながらも洗練されたデザインは世界中から評価されています。
日本でも、自分らしさを表現できるブシュロンのジュエリーは、「人と被らないものがほしい」というファッション性の高い女性たちから根強い人気を誇っています。

3-5.ヴァンクリーフ&アーペル(Van Cleef & Arpels)

出典:Van Cleef & Arpels

「幸せの象徴」とされるヴァンクリーフ&アーペルは、愛と宝石にまつわるひとつの物語から生まれたジュエリーブランドです。まるでおとぎ話のようなその物語への憧れをもつ人は多く、世界中の女性たちから絶大な人気を誇っています。
またヴァンクリーフ&アーペルは、「グランサンク」と「世界五大ジュエラー」の2大タイトル両方を冠する唯一のジュエリーブランドであり、洗練されたデザインと巧みな技術が生み出すジュエリーは、創業から100年以上愛され続けています。

その歴史は1895年のパリまで遡り、そこには宝石細工職人の息子アルフレッド・ヴァンクリーフと、宝石商の娘エステル・アーペルがいました。才能溢れる若きふたりは、宝石への情熱や革新への熱意、家族への愛など多くの価値観と時間を共にしていく中でやがて恋に落ち、互いに永遠の愛を誓い幸せな結婚をしました。この愛の物語こそが、のちに2大タイトルを冠するヴァンクリーフ&アーペルの誕生のきっかけとなりました。
愛し合うふたりの願いは「身につけた人々に愛と幸運をもたらすジュエリーを作ること」
その想いを形にするべく、1906年アルフレッド・ヴァンクリーフとエステルの兄シャルル・アーペルは、愛し合うふたりの名前を結び合わせたジュエリーブランド「ヴァンクリーフ&アーペル」をヴァンドーム広場に創業しました。

創業当初からメゾンが大切にし続けているテーマ「愛」と「幸運」
その証として2大テーマをモチーフにした数々のコレクションを生み出し、多くの貴族の結婚式にまつわるジュエリーや、婚姻の証のジュエリーを手がけてきました。そして現在も、ヴァンクリーフ&アーペルの代表的なエンゲージメントリングには、創業者アルフレッド・アーペルが生涯愛した妻「エステル」の名前が冠され、花嫁の薬指に宿りその幸せを願い続けています。

ヴァンクリーフ&アーペルがハイジュエラーとして高く評価され続けている理由として、その洗練されたデザインはもちろんのこと、そのデザインを実現可能とする類まれなる技術力にあります。
そのヴァンクリーフ&アーペルを象徴する技術のひとつが「ミステリーセッティング」です。
このミステリーセッティングは、宝石を固定する際の爪や石の一部を覆ってしまう金属など、宝石を留めるためのものが一切見えないようにする方法であり、1933年に特許を取得するほど宝石史に残る偉業とされています。これによりどんな曲線のデザインも実現可能となり、ヴァンクリーフ&アーペルのジュエリーは唯一無二のものとなりました。

「幸運になりたければ、幸運を信じなさい」
これは、創業一族のひとりジャック・アーペルの口癖であり、メゾンが大切にし続けているテーマでもあります。
創業から100年以上、愛と幸運を信じ続け、ジュエリーを通してその想いを世界に発信し続けているヴァンクリーフ&アーペル。
そんなヴァンクリーフ&アーペルのジュエリーは、身につけた女性たちに幸せをもたらすお守りとなってくれています。

4.「世界5大ジュエラー」各ブランドの歴史と魅力

世界中その名を知らない人はいない程の抜群の知名度を誇る「世界5大ジュエラー」
ここでは、上述で紹介しているヴァンクリーフ&アーペルを除く各ブランドの歴史と魅力について深堀りしていきます。

4-1.ハリーウィンストン(HARRY WINSTON)

出典:HARRY WINSTON

「キング・オブ・ダイヤモンド」
数多く存在するジュエリーブランドの中でも、ハリーウィンストンのダイヤモンドはそのトップに君臨しています。
歴史的には90年ほどの創業年数で、世界5大ジュエラーの中では最も歴史が浅いブランドですが、それをも覆すほどの圧倒的なダイヤモンドの品質と創業者の宝石への情熱が、ハリーウィンストンを世界5大ジュエラーと呼ばせるまでに発展させました。

創業者のハリー・ウィンストンは、1896年に宝石商の息子としてアメリカのニューヨーク州で生まれました。幼少のころから宝石に慣れ親しんでいたハリーは、12歳の頃には宝石の価値を見抜く審美眼を身に付けており、近所の質屋でたった25セントで売られていた石を見てその価値に気づき、購入後別の質屋で800ドルで売却したという有名なエピソードの持ち主。
そんなハリーは第一次世界大戦後、貴族が資金集めのために売り出したジュエリーに目をつけました。貴族が売りに出したジュエリーは価値こそあるもののデザイン的には古いものが多いため、ハリーはそれらを買い取り当時の流行にリメイクして売り出すビジネスをスタートさせました。
これがニューヨークで絶大な人気を博し、1932年に自身の名を冠した「ハリーウィンストン(HARRY WINSTON)」を創業し、ニューヨークの5番街に最初のブティックをオープンさせました。
当時のアメリカでは分業が主流でしたが、ハリーは自ら宝石となる原石の買い付けに出向き、デザイン、カットや研磨などの加工、そして製造から販売まですべての工程を自社のみで行いました。
また、ダイヤモンドの品質は、米国宝石学会(GIA)によって定められた基準「4C=カラー、クラリティー(透明度)、カット、カラット(大きさ)」によって評価されますが、ハリーウィンストンのジュエリーには、この4C全ての基準に対し最高級のダイヤモンドのみを使用しています。
このハリーのダイヤモンド、ジュエリーへのこだわりこそが、ハリーウィンストンを世界最高のジュエリーブランドと言わしめる所以となりました。

そんなハリー・ウィンストンの名声は瞬く間に世界中へ広がり、1944年にアカデミー賞主演女優賞を受賞した女優ジェニファー・ジョーンズがハリーウィンストンのジュエリーを身に着けてレッドカーペットを歩いてから「スターたちのジュエラー」と称され、その後も数多くのセレブたちがこぞって授賞式や結婚式などの華やかな場所で身に着けるようになります。
また、かの有名なマリリン・モンローが、映画「紳士は金髪がお好き」の楽曲「ダイヤモンドは女の子の親友(Daiamonds Are A girl’s Best Friend)」で「教えてハリー・ウィンストン!私にダイヤモンドの全てを!」と歌い、世界中の人々がハリーウィンストンの存在を認識しました。

「ジュエリーの個性を決める要素はダイヤモンドそのものである」
そう語る創業者ハリー・ウィンストンはまさに「キング・オブ・ダイヤモンド」の名にふさわしく、彼が生涯を通じて情熱を捧げたダイヤモンドへの情熱が生み出すジュエリーは、時代を超えて世界中の人々を魅了し続けています。

4-2.ティファニー(TIFFANY&Co.)

出典:TIFFANY&Co.

「I’m crazy about Tiffany’s(私はティファニーに夢中なの)」
これは1961年公開の映画「ティファニーで朝食を」で主演をつとめた女優オードリー・ヘップバーンが作中で言ったとても有名なセリフです。
女性なら誰もが一度は憧れたことがあるティファニーブルー。
その圧倒的なブランド力と人々を魅了してやまないデザインを持つティファニーの歴史は、意外なところから始まりました。

1837年のニューヨーク。当初ティファニーは「ティファニー&ヤング」という名前で、チャールズ・ルイス・ティファニーとジョン・バーネット・ヤングによって創業されました。実はティファニーはジュエリーブランドではなく、文房具や装飾品を扱うセレクトショップとして始まりました。
1843年にはヨーロッパから輸入したゴールドジュエリーの販売を開始し、その2年後の1845年に、ティファニーの歴史に残る「ブルーブック」の発行を開始しました。
このブルーブックとは今でいう通販カタログのようなもので、現代では当たり前になっているシステムですが、170年前のアメリカでは衝撃的なシステムでした。
ブルーブックが発行された当初は、ゴールドジュエリーや真珠などの一流品が掲載されており、アメリカにいながらヨーロッパの高級品を購入できるこのブルーブックは多くの貴族に求められました。
そして現在でもこのブルーブックは年に1回発行されていますが、限られた上級顧客のみに配布されており、日頃目にすることができない希少なハイジュエリーが掲載されている名品カタログといわれています。

その後、1848年にはフランスの貴族から貴重なダイヤモンドを買い入れ、それを皮切りにアメリカ全土に宝石商としての認知度を高めていきます。
そして1853年、「ティファニー&カンパニー(Tiffany&Co)」へ改名し、現代まで続くハイジュエラーとなりました。

ティファニーの快進撃はその後も続き、ジュエリーのみならず銀製品取り扱いにも力を入れ始めます。
1867年に開催されたパリ万博ではアメリカ発祥のブランドでは初めて銀器部門でブロンズメダルを獲得し、更に1878年には同万博でグランプリを受賞しました。
ジュエリー部門においても当然のようにゴールドメダルを受賞するなどその飛躍は留まるところを知らず、一流ブランドとして確固たる地位を築きました。
そして現代では高級ジュエリー、銀製品のみならず、食器やカジュアルなゴールドジュエリーも展開し、どの分野においても世界各国から高い評価を受けています。

皆さんは、ティファニーをどんなブランドだと思いますか?
「女性が憧れる婚約指輪で有名なブランド」「一流の宝石を扱う高級ジュエリーブランド」「食器や銀製品を取り扱っているブランド」「若い女性がカジュアルに身に着けられるアクセサリーを扱っているブランド」
その答えは様々だと思います。そして、その全ての答えを兼ね揃えたブランドこそが「ティファニー」なのです。
そんな現代の多様性を反映させているティファニーなら、皆さんが求めている「何か」が見つかるかもしれません。

4ー3.カルティエ(Cartier)

出典:Cartier

「王の宝石商、宝石商の王」
イギリス国王エドワード7世からカルティエへ贈られた言葉です。その言葉通りカルティエはまさに「王室御用達ジュエラー」であり、イギリス、フランス、スペイン、ベルギーを始めとした15か国以上の王室がその存在に一目を置き、カルティエが生み出す美しいジュエリーに魅了されてきました。
そんな格式高い王族のジュエラーであるカルティエの歴史もまた革新の連続でした。

その歴史は1847年に宝石細工職人のルイ・フランソワ・カルティエが師匠からアトリエを譲り受け、自身のメゾンとしてオープンさせたところから始まります。彼がメゾンをオープンさせたヌーヴ・デ・プティ・シャン通りは、当時貴族や富裕層の邸宅から近く度々社交界やパーティーが行われていたため、ルイ・フランソワ・カルティエはそこに集う貴族に目を付けその場所を選んだといわれています。
彼の読みは見事に的中し、「カルティエ」の名は王族、貴族の間で広まっていきます。
その後ナポレオン3世によるパリ大革命が行われ、パリは美しく華やかな街へと生まれ変わります。そこでルイ・フランソワ・カルティエは1859年、当時のファッションの中心街であり、オペラ座からもほど近いイタリアン大通りにメゾンを移転させます。その移転もまた彼の優れた采配であり、そこにナポレオン3世の妻ウジェニー皇后が訪れ、彼女もカルティエの生み出す美しいジュエリーに魅了され顧客となりました。
当時のカルティエはフランス国内の王族、貴族御用達のジュエラーとしての地位を確立しつつありましたが、その名を世界へ轟かす決め手となったのはこのウジェニー皇后との出会いによるものでした。当時世界の社交界の中心的存在であったウジェニー皇后が顧客になったことにより、カルティエは「フランス皇后が認めたジュエラー」として急速に世界中の王族の中でその噂が広まり、注目されるようになりました。
そして1899年、パリの洗練の象徴であるヴァンドーム広場に店舗を移し、当時はフランス5大宝飾店「グランサンク」としての活動を行い、ハイジュエラーとしての地位を確立。
上述通りカルティエは、ルイ・フランソワ・カルティエの優れた先見性と商才により幾度となくメゾンを移転させ、そのたびに新たなる顧客を得てその名を広めていきます。

彼の天才たる所以はそれだけに留まらず、その後数々の宝石史に名を残す偉業を成し遂げます。
そのひとつが「ガーランド・スタイル」の考案でした。
ガーランドとは葉や花で作られた花冠のことで、その自然独自の繊細なスタイルをジュエリーとして復活させました。その際に彼が使用した貴金属が「プラチナ」
今でこそプラチナはジュエリーの定番素材となっていますが、その当時プラチナは未知の貴金属とされ、ジュエリーに使用されることはありませんでした。そんな中でカルティエは世界で初めてプラチナをジュエリーに使用し、これが宝石史の大革命となりました。
精錬も加工も、どんな貴金属よりもはるかに高度な技術を要するプラチナ。しかしそれが可能になれば、プラチナ特有のグレーがかった白の美しさだけでなく、どんな高温でも酸化せずに輝きを保ち、しなやかで繊細な特性はダイヤモンドの美しさを際立たせるのに最も適した金属であるとルイ・フランソワ・カルティエは確信していました。そして研究に研究を重ね、遂にプラチナを使用したジュエリーの製作に成功。このプラチナジュエリー「ガーランド・スタイル」の発表こそカルティエが「王の宝石商、宝石商の王」とまで称される所以であり、世界中の王族やセレブから賞賛されました。
そして現代、プラチナを用いたカルティエの婚約指輪は、その独特の美しい輝きにより「婚約指輪といえばカルティエ」と称されるほど、世の女性たちの憧れの的になっています。

創業から170年以上、時代の流れをいち早く察知し、これまで誰もが成し遂げてこなかった革新的なジュエリーを生み出し流行を作り続けてきた「カルティエ」
そんな最高品質のジュエリーは今もなおその進化を遂げることなく輝きを増し続けており、カルティエのジュエリーは単に美しいだけでなく、時代を創作していく力強さの象徴となっています。

4ー4.ブルガリ(BVLGARI)

出典:BVLGARI

アメリカ発のジュエラーといえばハリーウィンストン、ティファニーと言われているのと同じように、ブルガリはイタリアを代表するハイジュエラーとして世界中の人々を魅了し続けている名高いブランドです。
現在では時計、財布、香水、ホテル、チョコレートなど幅広く展開されていますが、創業時は宝飾店としてその歴史をスタートさせました。

創業者であるソティリオ・ブルガリは1857年にギリシャのエピルスで銀細工師の一族として生まれました。当時のエピルスは銀細工が盛んで、ソティリオもまた腕を磨きその才能を発揮していきました。そんな家系で生まれたソティリオにとって、後に宝飾店を創業することは必然だったのかもしれません。
バチカン戦争の勃発を期に一家はイタリアへ移住。ソティリオは移住後も銀細工職人を続け、故郷のエピルスに伝わる伝統的なギリシャ建築をベースとしたシルバーオーナメントが瞬く間に人気を博し、1884年にジュエリーブランド「ブルガリ(BVLGARI)
」を創業しました。

1905年にはソティリオの息子であるコンスタンティノとジョルジュも経営に加わりました。ふたりの息子によって、イタリア人だけでなく、アメリカやイギリスなど英語圏からの旅行者も意識した経営方針へ変化し事業を拡大。1932年にソティリオは死去しましたが、ふたりの息子はソティリオより受け継いだ伝統と当時の最先端技術をうまく取り入れメゾンを成長させていきます。
そんな偉大な父を持つふたりの息子により、1940年にブルガリを象徴するデザインで現在でも絶大な人気を誇る「セルペンティ」が制作されました。
セルペンティとはイタリア語で「蛇」を意味し、その名の通り蛇をモチーフとしたデザインになっています。蛇は古代ギリシャ時代から「幸福」「永遠」の象徴とされており、身につけた人々へ幸せをもたらすようにとの願いが込められ、またギリシャで生まれた父ソティリオへの敬意を表する作品として制作されました。この作品からは「時代は変わっても自分達のルーツは忘れない」というふたりの力強い決意が感じられ、そのパワーと蛇の持つ魅惑的なシルエットは、発表から80年経った今でも年代問わず愛されています。

その後も従来のギリシャ建築をベースとした古代ローマ様式のジュエリーを数多くを発表し更なる人気を獲得していきます。1950年以降にはオードリー・ヘップバーンやエリザベス・テイラーなどの著名人がブルガリを愛用し始め、その名はイタリアに留まらず世界中に広がり、ハイジュエラーとしての地位を確立させました。

130年以上の歴史を持ち5大ジュエラーに君臨しているにも関わらず、現状に満足することなく様々な分野への挑戦を続け進化を止めないブルガリ。あらゆる業界から賞賛されているブルガリの今後の展開から目が離せません。

 

5.グランサンクおすすめのシリーズ5選

ここでは「グランサンク」各ブランドのおすすめのシリーズを紹介します。

5-1.アネルシリーズ by メレリオ・ディ・メレー(MELLERIO dits MELLER)

出典:MELLERIO dits MELLER

フランス語で「指輪」という意味を持つアネルシリーズは、メゾンで人気の高い結婚指輪のひとつです。
素材がプラチナ、イエローゴールド、ピンクゴールドがあり、リングの太さも2.5mm幅と5mm幅があるため、男女で素材や太さを変えて身につけるのもお洒落で人気となっています。

そしてこのアネルリングには、13世紀のフランス国王だったルイ9世が王妃に送った結婚指輪に刻印されていたものと同じ愛のメッセージ「このリングの外に愛はない」とラテン語で刻まれています。
このメッセージが刻まれていた指輪を身につけていたルイ9世と王妃は生涯愛し合っていたと言われており、700年以上経った現代でもそのメッセージを受け継ぎ薬指に愛を誓うことのできる結婚指輪となっています。
このリングに隠されたストーリーがとてもロマンティックで、デザインもオリジナリティがあるため、他にない特別感のある結婚指輪としてオススメのシリーズです。

5-2.ジュ・ドゥ・リアン(Jeux de Lien)シリーズ by ショーメ(Caumet)

出典:Chaumet

1977年に制作されて以来、メゾンを象徴するアイコニックとなった「リアンコレクション」
「リアン(Lien)」はフランス語で「絆」を意味し、愛し合う人々を結びつけるジュエリーになるようにという想いから制作されました。
今回ご紹介する「ジュ・ドゥ・リアンシリーズ」は、2本の糸が交差するデザインになっており、その形から「絆」を表現しています。ペンダント、リング、ブレスレット、イヤリングと幅広く展開されており、ゴールドの縁取りが美しく、使用されている素材も定番のマザーオブパールからカーネリアン、マラカイト、ターコイズ、オニキスなど様々で、全てのデザインに美しいダイヤモンドが使用されています。
その中でもマザーオブパールが使用されたペンダント(Ref.082930)は、美しいセンターダイヤモンドがゴールドの光沢と共に輝きを放ちながら、定番のマザーオブパールにより服装や場所を選ばず普段使いできるシンプルなデザインとなっています。その為、オフィスなどでも毎日身につけられる「人との絆のお守り」として幅広い年代から人気の高いジュエリーです。

5-3.クルール・ダムール(COULEUR D’AMOUR)シリーズ by モーブッサン(MAUBOUSSIN)

出典:MAUBOUSSIN

カラーストーンジュエリーのパイオニアとして名高いモーブッサン。「クルール・ダムールシリーズ」は、モーブッサンならではの大粒のセンターストーンと、それを取り囲むパヴェの絶妙なコントラストが魅力的で、パリ生まれのジュエラーらしい感性が表現されたデザインとなっています。

大振りな石に繊細に細かくカッティングが入っているのが特徴で、繊細な煌めきと透明感のある輝きが人気のシリーズ。
ペンダント、リング、イヤリングと展開されており、素材もローズ・ド・フランス、アメシスト、シトリン、ブルートパーズ、スモーキークォーツと様々です。
身につけるだけで一気に装いを鮮やかに彩ってくれるクルール・ダムールシリーズのジュエリーは、パーティーシーンはもちろんカジュアルな装いの際にも一粒のアクセントとなり日常を華やかにしてくれます。

5-4.キャトル(QUATRE)リングシリーズ by ブシュロン(BOUCHERON)

出典:BOUCHERON

ブシュロンはフランスの王族や貴族から愛され世界的には有名なジュエリーブランドであるにも関わらず、日本では知る人ぞ知るハイジュエラーというイメージでした。そんなブシュロンの名が日本において飛躍的に有名になったきっかけがこのキャトルシリーズ。以降、ブシュロンを象徴するアイコン的存在となりました。

「キャトル(QUATRE)」とはフランス語で「4」の数字を意味します。その名の通りキャトルリングは、異なる細工が施された4連のゴールドが特徴のデザイン。現在ではそのうちのひとつにダイヤモンドを使用しているものもあり、バリエーションが豊富なため人と被らないリングが欲しい方にも人気で、好みのリングを探し出すのも楽しいシリーズになっています。

5-5.アルハンブラシリーズ by ヴァンクリーフ&アーペル(Van Cleef & Arpels)

出典:Van Cleef & Arpels

四つ葉のクローバーをモチーフとしたこのアルハンブラシリーズは、「ヴァンクリーフ&アーペルと言えばアルハンブラ」と称されるほどメゾンを象徴するアイコン的存在。ヴァンクリーフ&アーペルの名を知らない方でも、一度はこのモチーフを目にしたことがあるのではないでしょうか。
四葉のクローバーは言わずと知れた「幸運のシンボル」とされており、四つの葉にはそれぞれ「愛・健康・幸運・富」を意味しています。

1968年、メゾンは初めてアルハンブラロングネックレスを発表し、ゴールドビーズで囲まれたイエローゴールドのクローバーデザインは瞬く間に人気を博し世界中に知られるようになりました。その後現在に至るまで、様々な素材やデザインを加えながら多彩なバリエーションを生み出し続けています。
使用されている素材も、定番のマザーオブパールをはじめ、オニキスやカーネリアン、ターコイズ、パヴェダイヤモンドなど様々で、サイズ展開も豊富なため、フォーマルやカジュアル、オフィスなど場所を問わずに愛用できることから年代問わず人気が高いシリーズとなっています。

6.世界5大ジュエラーおすすめのシリーズ5選

ここでは、上述で紹介しているヴァンクリーフ&アーペルを除く「世界5大ジュエラー」各ブランドのおすすめのシリーズを紹介します。

6-1.リリークラスター(Lily Cluster)シリーズ by ハリーウィンストン(HARRY WINSTON)

出典:HARRY WINSTON

「ダイヤモンドそのものの美しささえあれば余計な装飾は必要ない」
そんなハリー・ウィンストンを象徴する技法が「クラスターセッティング」

1940年代の12月のある日、ニューヨーク郊外で自宅のドアに飾られたヒイラギの葉で作られたクリスマスリースを見たハリー。
「このクリスマスリースのように、地金を極力見せないようにダイヤモンドをセッティングできたら…」
そのひらめきから、様々なシェイプのダイヤモンドを立体的に組み合わせ、繊細なプラチナの爪で留める「クラスターセッティング」が誕生しました。この技法により、宝石を留めるための金具や爪が目立たなくなり、まるで素肌の上に直接ダイヤモンドを身につけているかのように見えるデザインを実現可能にしました。
その技法を取り入れた代表的なシリーズがこの「リリークラスターシリーズ」です。

「リリー」という名の通り満開のユリの花の美しさを表したリリークラスターシリーズは、ペンダントやイヤリング、ブレスレット、リング、バレッタなど幅広いアイテムをラインナップ。
素肌の上に咲き誇るユリの花の上品なデザインが、気品溢れる女性たちから絶大な人気を博しています。

6-2.Tシリーズ by ティファニー(TIFFANY&Co)

出典:TIFFANY&Co.

時代の変化をいち早く取り入れ、現代の多様性に対応したアイテムを発信し続けているティファニー。その豊富なジュエリーデザインの数々は、何世代にもわたって世界中で愛され続けています。

そんなティファニーが2014年に発表して以来、瞬く間に話題となりティファニーを代表する新アイコンとなったのがこのTシリーズ。ティファニーのロゴの「T」を彷彿させるデザインは、一目でティファニーだと分かるアイコニックなデザインになっています。
このTシリーズは、モチーフの形が微笑んでいる口元に見えるデザインで「Tスマイル」と名付けられたネックレスやピアス、ブレスレットを始めとし、素材違いを合わせると200種類以上にも及ぶデザインが展開されています。そのデザインはカジュアルなものからパヴェダイヤモンドをあしらった華やかなものまで幅広いため、どの世代の女性たちでも好みのデザインを見つけやすいシリーズとなっています。
どれかひとつは持っていたいと人気のTシリーズで、お気に入りの一つを見つけてみてはいかがでしょうか。

6-3.バレリーナ (BALLERINE)シリーズ by カルティエ(Cartier)

出典:Cartier

ゴールドのガーランド模様があしらわれた赤いリングボックスに収められた美しいカルティエの婚約指輪は、いつの時代も世の女性たちの憧れの的になっています。

そんなカルティエの婚約指輪の中でも特にオススメなのが「バレリーナシリーズ」の婚約指輪である「バレリーナソリテール(BALLERINE SOLITAIRE)」
花と葉をモチーフにしたカルティエの代名詞であるガーランドスタイルが特徴のリングです。
4つの小さなダイヤモンドが中央の大きなダイヤモンドを抱えるようなデザインには、「愛し合うふたりが互いに支え合って生きていく」という意味が込められており、支え合いながら心躍るような日々を送れるようにと「バレリーナ」と名付けられました。

バレリーナソリテールの婚約指輪はプラチナ、パヴェダイヤモンド、ピンクゴールドの3セレクションを展開しており、バレリーナの名の通り優美に躍るような曲線が美しく、そのフェミニンな装いから特に人気のリングとなっています。
また、バレリーナシリーズの結婚指輪との相性も良く、重ねづけすることで更に気品高いオーラを纏うことができます。

6-4.ビー・ゼロワン(B.zero1)シリーズ by ブルガリ(BVLGARI)

出典:BVLGARI

男女問わず常に高い人気を誇るブルガリのジュエリー。その中でも、最も人気が高く定番のアイテムとなっているのがこのビー・ゼロワンシリーズです。

「ビー・ゼロワン」は、ブランドの頭文字である「B」と始まりを意味する「01=ゼロワン」を合わせた名前で、1999年に発表されました。
ビー・ゼロワンのデザインは有名な古代ローマの遺跡であるコロッセオの螺旋の形状をモチーフにしており、表にはブルガリ・ブルガリのロゴが刻まれているデザインになっています。
古代遺跡の圧倒的な存在感と近代イタリアンデザインを見事に融合させ、モダンでスタイリッシュなデザインに仕上げていることからも、ブルガリの洗練されたセンスとデザイン性が伺えます。
ネックレス、リング、ブレスレットが展開されており、黒のセラミックが施されているデザインもあるため、男女ペアで身につけるのも人気となっています。

 

7.歴史と伝統のグランサンク

創業100年を超える老舗ジュエラーで結成されている「グランサンク」
他に類を見ない独創的かつ斬新なデザインを生み出し続け、100年以上経った現代まで世を魅了し続けています。
「5大ジュエラーとどちらが格上なのか?」と問われている記事を良く目にしますが、2大タイトル全てのジュエラーにおいて品質、デザイン性、芸術性に優れたトップジュエリーブランドであることは間違いなく、全てのブランドに共通してトップジュエラーと称される所以となるブランドヒストリーと、ジュエリーに込められた想いがあります。
知名度やデザインだけでなく、それぞれのブランドの歴史的背景を知った上で、たったひとつの運命のジュエリーを探してみるのもジュエリーを選ぶ楽しさのひとつかもしれません。

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