2023年9月30日
多くの女性を魅了するCHANEL/シャネル。その歴史と伝説のデザイナー
バッグ
ブランド
ファッション界の永遠のアイコン「シャネル」。
その名前は単なるファッションブランドを超えて、特に女性にとっては英会陰の憧れとなっています。
シャネルの歴史は「ココ・シャネル」というひとりの女性から始まります。
現在までの立ち位置を確立するには深い歴史が存在しているのですが、いかにしてファッション界の頂点に君臨する存在となったのでしょうか?
さて、この記事ではシャネルの歴史の奥深さに迫りながら、その魅力を徹底的に解き明かしていきます。
目次
- 1.シャネルを語る上で欠かせない3人の歴代デザイナー
- 2.世界の女性を虜にしているシャネルが歩んできた歴史。
- 2-1.【1910年】「帽子屋:シャネル・モード」として始まる。
- 2-2.【1916年】伝統を打破するジャージードレスの誕生
- 2-3.【1921年】調香師「エルネスト・ボー」と協力。「No.5」発表。
- 2-4.【1926年】黒い服の常識を変えた!「リトル・ブラック・ドレス」
- 2-5.【1939年】第二次世界大戦の影響でブティックは壊滅状態
- 2-6.【1954年】ツイード素材の「シャネルスーツ」で栄光を取り戻す
- 2-7.【1955年】マトラッセの原型となる「2.55」が誕生。
- 2-8.【1971年】ココ・シャネル逝去。またもや低迷期へ。
- 2-9.【1983年】マトラッセ誕生。カール・ラガーフェルドが就任。
- 2-10.【1987年】女性のための腕時計「プルミエール」を発表。
- 2-11.【2000年】時計界を震撼させたセラミック素材の「J12」
- 2-12.【2019年】「ヴァージニー・ヴィアール」がシャネルの未来を担う
- 3.ココ・シャネルはどんな人?ブランドイメージにつながる名言集
- 4.現在まで愛されるシャネルの魅力ポイント
- 5.シャネルを愛用している芸能人5選
- まとめ
1.シャネルを語る上で欠かせない3人の歴代デザイナー
シャネルは、ファッション界で多大な影響を持つブランドとして知られています。その歴史を語る上では3人の天才の存在が欠かせません。
・ココ・シャネル(画像左)
・カール・ラガーフェルド(画像中央)
・ヴァージニー・ヴィアール(画像右)
この章では、シャネルの歴史を語る上では絶対に欠かせない人物たちの紹介をしていきたいと思います。
1-1.創業者「ガブリエル・シャネル(ココ・シャネル)」
シャネルの歴史は、創業者である「ガブリエル・シャネル(通称:ココ・シャネル)」によって開業された「シャネル・モード」という小さな街の帽子屋から幕を開けました。
1910年に帽子屋を開業したココ・シャネルは、帽子をはじめファッション界を代表する巨星へと昇りつめました。世界中から注目を集めた後には、様々なファッションアイテムを誕生させたことにより当時の女性のファッションに革命をもたらしました。
彼女のデザインはエレガントでシンプルなアイテムが多いことで知られ、ツイードのスーツ「シャネルスーツ」や、黒一色で統一されたワンピース「リトル・ブラック・ドレス(略称:LBD)」を展開しています。これまでの女性ファッションにはなかったボーイッシュなスタイルを提唱していました。これは「女性の解放」と呼ばれているほどの革命であり、従来にはなかった女性のファッションスタイルを数々生み出していました。
また、ココ・シャネルは香水業界にも大きな足跡を残しました。1921年にシャネルが生み出した「No.5」は、その名前だけで世界中で広く知られており、現在でも多くの人々から愛用されています。この香水は芳醇な香りと可愛らしいボトルデザインでシャネルのブランド価値を一層高めました。
シャネルの創業者であるココ・シャネルの存在は、ファッション界において伝説の女性です。シャネルというブランドに対して永遠に消えることの無い魅力を多く注ぎ込みました。その逸脱したセンスと革新的なアイデアは、現在に至るまで多くのファッショ二スタへ影響を与え続けています。
1-2.モード界の皇帝「カール・ラガーフェルド」
シャネルの歴史において、次に注目すべき人物が「カール・ラガーフェルド」です。彼はファッションデザイナー界の皇帝と称されており、シャネルにも新たな息吹をもたらしました。
カール・ラガーフェルドは、1983年にシャネルのアーティスティック・ディレクターとして就任。逝去するまでの約30年に渡り、数々の革新的なコレクションを生み出しました。ココ・シャネルの遺したデザインの哲学を尊重しつつも、ブランドの後継者としてモダンでエレガントな要素を取り入れたシャネルの伝統を更に進化させました。
2014年に開催されたパリコレではスーパーマーケットを模したユニークな舞台で参加。2016年には「旅行をする機会は増えているのだから、シャネルのトラベルラゲッジがあったっていいじゃないか」というカールラガーフェルドの発想から「CHANEL AIRLINE/シャネル エアライン」を発表しました。
会場のグラン・パレを空港へと一新したこのコレクションでは「ココケース」と呼ばれるシャネルのキャリーケースやソールの光るウェッジソールサンダルなどが展開されています。
これらのカール・ラガーフェルドの功績は、シャネルのブランドを新たな高みに押し上げ、世界中のファッショニスタに大きなインスピレーションを与えました。その創造力とビジョンはシャネルが常にファッション界のトップである理由の一つです。
1-3.現在のシャネルを創る「ヴァージニー・ヴィアール」
現在に於いても、シャネルは新たな時代に向けて歩みを続けています。その中心にいるのが「ヴァージニー・ヴィアール」です。2019年からカール・ラガーフェルドの後任としてシャネルのクリエイティブディレクターに就任しました。
30年間ほどカールラガーフェルドの右腕として活躍していたヴァージニー・ヴィアールは、シャネルのブランドの伝統と価値観を守りながら新しいアイデアとコンセプトを取り入れてブランドを常に新鮮で魅力的なものとして保っています。彼女の指導のもと、シャネルはファッションの最前線にとどまり、革新的なコレクションやアクセサリーを提供し続けています。
ヴァージニー・ヴィアールは、シャネルのデザインに彼女自身の視点を加え、女性らしさとエレガンスを融合させたスタイルを確立しました。その成果は、シャネルの製品が現代の女性に広く愛用されていることを示しています。
彼女のリーダーシップのもと、シャネルはファッション界での地位を他のブランドに譲ることは無く、ブランドの未来を約束する存在として輝き続けています。ヴァージニー・ヴィアールの才能とビジョンは、シャネルが永遠のファッションアイコンである理由の一つと言えるでしょう。
2.世界の女性を虜にしているシャネルが歩んできた歴史。
出典:CHANEL
20世紀初頭から現代にかけて世界のファッション業界に多大な影響を与え続けてきたブランドの「CHANEL/シャネル」
その歴史は創業者であるココ・シャネル(通称:ココ・シャネル)の情熱と革新的なアイディアから始まりました。彼女は時代の変遷とともにブランドを成長させ、多くのアイコニックなアイテムやコンセプトを生み出してきました。
さて、この章ではシャネルの歴史の中での主要な出来事、アイテム、そして背景にあるココ・シャネルの哲学やビジョンについて詳しく探っていきます。
2-1.【1910年】「帽子屋:シャネル・モード」として始まる。
出典:CHANEL
シャネルの歴史は1910年から始まります。創業者であるココ・シャネルはパリのカンボン通り21番地に「シャネル・モード」という帽子店をオープンしました。当時の帽子は派手な装飾が多いデザインが伝統的という風潮がありましたが、シャネル・モードの帽子は洗練されたシンプルなデザインを追求していました。伝統に固執しないシャネルの新しいアプローチは、当時の女性たちの間で新鮮で斬新と捉えられたことにより急速に人気を集めました。
シャネル・モードはパリの高級地区に位置していたため、多くの上流階級や社交界の女性たちが訪れるようになりました。その中には当時有名だった女優やアーティストも含まれており、彼女たちが公の場でシャネルの帽子を着用することでブランドの知名度はさらに高まりました。
また、ココ・シャネル自身が社交界にも積極的に参加していたことから、彼女の人脈とシャネルの商品が結びつき、ブランドの知名度を一気に上げる要因となりました。この初期の成功が、この後のシャネルブランドのファッションアイテムへの展開の礎となりました。
2-2.【1916年】伝統を打破するジャージードレスの誕生
帽子屋として成功を収めたシャネルは、1916年にファッション界に新たな風をもたらすこととなりました。ジャージー素材を使用したカジュアルなドレスをデザインし、これが大きな話題となりました。もともと男性の下着用の素材として使われていたジャージー素材は伸縮性と柔らかさが特徴的です。シャネルはこの素材の特性を活かし、女性の体にフィットするようなドレスを生み出しました。
当時の女性用のドレスは締め付けられるコルセットや窮屈なデザインが主流であり、女性たちはそのような服装の中で自由に動くことが難しかったと言われています。しかし、シャネルのジャージードレスは軽やかで動きやすく安価。それでいてエレガントなデザインが特徴です。このドレスは女性たちの日常生活における動きやすさと、上品なファッションを両立させることを目指していました。
高級リゾート地のドーヴィルや、フランスのビアリッツに店舗をオープンさせるなどの店舗展開を積極的に行い、帽子だけにとどまらずアパレル業界でも徐々に人気を高めていきます。1916年には初のオートクチュールコレクションを発表。シャネルが打ち出した新しいアプローチは、当時の女性たちのライフスタイルやニーズに応え続けたことにより多くの人々からの人気をさらに集めました。
2-3.【1921年】調香師「エルネスト・ボー」と協力。「No.5」発表。
出典:CHANEL
帽子屋のシャネル・モードを創業してから、僅か数年でアパレル業界にも革命を起こしたシャネルの快進撃はまだまだ止まることを知りません。
1921年には香水の世界へと足を踏み入れました。
シャネルは当時の香水市場には存在しない独自の香りを創り出すことを目指していました。この目的を達成するために、ココ・シャネルはフランスの調香師「エルネスト・ボー」と手を組み、共同で新しい香水の開発に取り組みました。
エルネスト・ボーはココ・シャネルの要望を叶えるべく、アルデヒドという成分を大胆に使用した香りのサンプルをいくつか提案しました。最終的に提案されたサンプルの種類は実に80種類以上にも及ぶと言われています。
サンプルに使われたアルデヒドは、あまりいい香りのするものではなく油のような匂いがする不快なものとして知られていました。しかし、2人が生み出した香水はモダンな香りを実現。それまでの香水とは一線を画すものでした。
いくつかのサンプルを生み出した共同作業の結果、現在でも有名な「No.5」という名の香水が誕生しました。名前の由来はシンプルで「提案された香りのサンプルの中で5番目のもの」を選んだことから来ています。この香水は独特の香りとシンプルなボトルデザインで瞬く間に大ヒットとなりました。
No.5は世界的にも有名な「マリリン・モンロー」も愛用していた香水で、就寝前には必ず数滴振っていたとインタビューで答えたという話もあります。No.5はシャネルブランドのアイコンとして今日まで多くの女性たちに愛され続けています。この香水の成功はシャネルがファッションだけでなく、日常のライフスタイル全般においても女性たちの心を捉えることができるブランドであることを証明しました。
2-4.【1926年】黒い服の常識を変えた!「リトル・ブラック・ドレス」
1926年にココ・シャネルはファッション界に衝撃を与えるアイテム「リトル・ブラック・ドレス(通称:LBD)」を発表しました。このシンプルながら洗練された黒一色のドレスは、当時の喪服としてイメージがあったファッションスタイルの思想を一新させることとなりました。
20世紀初頭のヨーロッパでは「黒=喪の色」として認識されており、日常的なファッションでは一般的に取り入れることはありませんでした。しかし、シャネルはその常識を覆します。黒のドレスを日常のファッションで使うアイテムとして提案しました。彼女のこの挑戦は、黒の普遍的な美しさとエレガンスを再評価させるきっかけとなりました。
シャネルの「リトル・ブラック・ドレス」は短めの丈とシンプルなデザインが特徴的です。このデザインは女性の体型を美しく見せるだけでなく、様々なシーンでの着用が出来ることから多くの女性たちに支持されました。また、このドレスはアクセサリーやシューズの選び方次第でカジュアルからフォーマルまで幅広いスタイルにアレンジすることができます。
この「リトル・ブラック・ドレス」の成功は、シャネルの独自の美学と女性たちのライフスタイルやニーズに応えるデザインのセンスの高さを示しています。単なるファッションアイテムを超えて、当時の女性たちの生活そのものを豊かにする提案をしていたのです。
今までのファッションのイメージを覆したリトル・ブラック・ドレスは、現代ではシャネルの最高傑作と呼ばれるアイテムとなりました。
2-5.【1939年】第二次世界大戦の影響でブティックは壊滅状態
出典:CHANEL
これまで、数々の斬新なアイテムを産出してファッション界に革命を起こし続けてきたシャネルも低迷期を迎えてしまいます。1939年に勃発した第二次世界大戦の影響で暗雲に包まれました。
第二次世界大戦は、ファッション業界だけでなく多くの産業や文化に大きな影響を及ぼしました。特にファッションの中心地であったパリはドイツ軍の占領下に置かれた関係もあり、多くのブティックやアトリエがその活動を停止せざるを得なくなりました。
シャネルのブティックに於いても第二次世界大戦の影響で壊滅的な状態となり、香水とアクセサリー店以外の店舗はほとんど閉店を余儀なくされました。さらに、創業者であるココ・シャネルはドイツ軍の幹部と愛人関係であったので、裏切り者としてフランス国民から激しい非難を受け、1944年には逮捕されてしまいます。
釈放された後のシャネルはビジネスを一時的に休止。数年間スイスに亡命することとなりました。順調に思われるシャネルの経営は第二次世界大戦の影響を受けて低迷期を経験していたのです。
2-6.【1954年】ツイード素材の「シャネルスーツ」で栄光を取り戻す
出典:CHANEL
第二次世界大戦が終戦してから9年後の1954年に、シャネルはファッション界への復帰を果たします。パリで再びブランドとしての店舗をオープンします。一度は終わってしまったと思われたブランドに再出発の狼煙をあげます。
その象徴としてツイード素材の「シャネルスーツ」を発表。このスーツはシャネルの代名詞とも言えるアイテムで、ジャケットとスカートのセットで独特のクラシックなデザインが施されていました。ツイードは元々男性の服にしか使われていなかった素材であったことから、このスーツは革命的なアイテムでした。
ツイードジャケットは金のボタンや独特のポケットの位置、縫製技術など細部のこだわりが際立っていました。このツイード素材はシャネルのブランドイメージを強く象徴し耐久性と上品な質感が魅力となっています。
シャネルスーツはビジネスからカジュアルまで幅広く着用できる汎用性があり、エレガントで実用的なスタイルが多くの女性たちから支持を受けました。この成功によりシャネルはファッション界のトップブランドとしての地位を再び確立。ココ・シャネルの復帰はファッション界に新たな風をもたらすこととなりました。
低迷期を経験したシャネルは、地位を落とした経験をバネに栄光を取り戻していきます。
2-7.【1955年】マトラッセの原型となる「2.55」が誕生。
出典:CHANEL
1955年2月にココ・シャネルがデザインした「2.55」のバッグは、シャネルの象徴的なアイテムとして誕生しました。このバッグの名前は発売された日付から取られ、シャネルの歴史の中で最も有名で影響力のあるバッグとして知られています。
ココ・シャネルの独自のスタイルと彼女の生活の経験を反映した2.55のショルダーバッグは「女性が両手を自由に動かすことができるように」という考えから、ショルダーストラップを取り入れたデザインを採用しました。当時の考えでは「女性がショルダーバッグを持つのは下品なイメージ」をもたれていたことから、あまり世間からは受け入れられていませんでした。
しかし、その実用的かつ斬新なデザインに当時の女性たちは魅了されました。2.55のバッグは、現在に於いても多くの人々から人気を博しています。
2.55の特徴的なキルティングデザインはシャネルのアイデンティティとして確立され、後に現在でも愛される「マトラッセ」の原型となっています。ココ・シャネルが競馬場で馬を世話する「厩務員」のジャケットを観察してインスパイアされたと言われています。このデザインはシャネルのバッグの中でも特に人気があり、現在でも多くの愛好者に支持されています。
2.55のバッグは独自のデザインと歴史的背景でファッション界の地位を確立しました。時代を超えて愛され続けるアイテムとして多くの女性のワードローブに欠かせない存在となっています。
2-8.【1971年】ココ・シャネル逝去。またもや低迷期へ。
1971年にファッション界は大きな喪失を迎えました。
これまで業界に数々の功績を残してきたココ・シャネルが87歳で逝去しました。
シャネルの創業者であり、20世紀のファッションイメージを大きく変えたデザイナーでした。ココ・シャネルの死は、当時のファッションに敏感な方や業界の関係者にとって、深い悲しみとともに彼女の偉大さを再認識するきっかけとなりました。
ココ・シャネルはシンプルでありながら洗練されたデザインで、女性のファッションを一新しました。彼女は女性の自由と独立をテーマに様々なスタイルを提案しました。これらのアイディアは、女性の社会進出とともに、新しい時代のファッションとして受け入れられました。
彼女がファッション業界に遺した遺産は、シャネルブのアイテムやコンセプトだけでなく、ファッションに対する哲学や考え方にも表れています。彼女が語った「シンプルさはすべてのエレガンスの鍵」という言葉通りに、生み出したシンプルなデザインは時代を超えて多くの人々に愛され続けています。
そんな哲学を持っていたココ・シャネルは、亡くなる直前まで仕事に没頭する熱意のある方でした。その熱意が反動となってしまったのか、不眠症や不安症を患った関係でモルヒネ注射を打っていたそうです。亡くなる直前には手が震えて注射を打つのもままならないほどに衰弱しており「人ってこんな風に死ぬのね」と語っていたとも言われています。
数々の功績を残していたココ・シャネルを亡くしたシャネルブランドは、ジャック・ヴェルテメールという人物が経営を担うことになりますが、経営に関する知識が薄かったことから2度目の低迷期を迎えます。
しかし、ここから12年後にシャネルは完全復活を果たします。
2-9.【1983年】マトラッセ誕生。カール・ラガーフェルドが就任。
出典:CHANEL
ココ・シャネル没後に2度目の低迷期を迎えたシャネルは、1983年に完全復活を果たします。ブランドを完全復活させたのは「カール・ラガーフェルド」という人物。彼の加入は、シャネルの歴史において新たなステージの始まりを告げるものとなりました。カール・ラガーフェルドはその鋭い感性と独自のビジョンで、シャネルを21世紀のファッション界の中心へと導きました。
彼のデザイン哲学はココ・シャネルの伝統を尊重しつつも、新しい時代のエッセンスを取り入れること。敢えて今までのシャネルのをないがしろにするアイテムも数多く産出していきます。シャネルのファッションショーをグローバルなステージとして捉えていたカール・ラガーフェルドは、その都度異なるテーマやストーリーで観客を魅了しました。
スーパーマーケットを模した舞台をパリコレで披露したり、グランパレを空港に見立てた「シャネル エアライン」での壮大なショーは、ファッション業界のみならず世界中からの注目を集めるイベントとなりました。
また、カール・ラガーフェルドが就任してからすぐに、現在でも愛される「マトラッセ」を生み出しました。これはココ・シャネルが生み出した2.55が原型となっています。「マトラッセ=ふくれ織」という意味を持っており、ダイヤ型のキルティングデザインが特徴的です。
現代に於いても、そのアイコニックなデザインは多くのカジュアルブランドが採用するほど人気を集めています。しかし「ダイヤ型のキルティング=シャネルのバッグ」というイメージが根付いてしまっているため、シャネル風バッグというレッテルが張られてしまう可能性もあります。
カール・ラガーフェルドのリーダーシップのもと、シャネルはアクセサリーや香水、化粧品といった分野でも革新を遂げました。彼のクリエイティブな発想と絶え間ない挑戦は、シャネルのブランドイメージを一層豊かにし、新たなファン層を魅了し続けました。
2-10.【1987年】女性のための腕時計「プルミエール」を発表。
出典:CHANEL
カール・ラガーフェルドを迎え入れてから3年後の1987年にシャネルは新たな挑戦を果たしました。ブランド初となる腕時計の「プルミエール」を発表。シャネルが時計の世界に足を踏み入れることは多くの人々にとって驚きのニュースでしたが、そのデザインとクオリティは瞬く間に高い評価を受けました。
「プルミエール」は、シャネルのアイコンである「No.5」の香水瓶のキャップと、パリの象徴的なヴァンドーム広場の形状をモチーフにした八角形のデザインが特徴的です。この独特の形状はブランドの伝統と革新を融合させたシャネルらしいアイテムとなりました。
この「プルミエール」の成功はシャネルがファッションの枠を超えて、さまざまな分野へ挑戦することの可能性を示しました。後に発表されるセラミック素材を使用した腕時計「J12」などの時計コレクションの成功へと繋がる第一歩となったのです。
時計という新たな領域での成功は、シャネルのブランド力の広がりと、その多様性を証明するものでした。そしてシャネルの時計は、今やファッションとライフスタイルの両面で多くの人々の心を捉えて離さない存在となっています。
2-11.【2000年】時計界を震撼させたセラミック素材の「J12」
2000年を迎えたシャネルは再び時計界に革命をもたらすアイテムを発表しました。それが、セラミック素材を使用した「J12」です。この時計は斬新なデザインと素材で、瞬く間に世界中の注目を集めました。
J12の特徴として一番大きく挙げられるのは、高級セラミック素材を使用している点です。この素材は耐久性や耐傷性に優れていて、軽量でありながらも高級感があります。また、セラミックは肌に優しく、アレルギーの心配も少ないため、長時間の使用でも快適に過ごせるのが特徴です。
シャネルがJ12で選んだセラミック素材は、従来の金属製の時計とは一線を画す存在感を放っていました。初めて発表された黒セラミックのJ12は、シャネルのシンプルでありながらも洗練されたデザイン哲学を反映しています。J12は男性用の腕時計としても非常に人気がありますが、ユニセックスなデザインが多くの男性たちから支持を受けています。
この「J12」の成功は技術とデザインの融合を追求するブランドであることを世界に示しました。そして、シャネルの時計コレクションはこれまでのプルミエールの成功をさらに上回る人気を誇り、多くのセレブやファッショニスタたちの間で愛用されるアイテムとなりました。
尚、現代においては中古市場でも人気を博している腕時計となっています。
※J12についてもっと詳しく知りたい方はこちらの記事をご覧ください。
2-12.【2019年】「ヴァージニー・ヴィアール」がシャネルの未来を担う
1983年から約30年間に渡り、シャネルを支えてきたカール・ラガーフェルドは2019年にこの世を去ってしまします。その後、シャネルのアーティスティックディレクターとして「ヴァージニー・ヴィアール」が就任しました。長年ブランドを支えてきたカール・ラガーフェルドの死後、シャネルの新たな時代の幕開けを迎えます。
ヴァージニー・ヴィアールは、カール・ラガーフェルドの右腕として約30年にわたりシャネルで働いていました。ファッションショーのステージデザインやコレクションのディレクションなど、ブランドのクリエイティブな部分を支えてきました。その経験と知識を活かし、シャネルの伝統を守りつつも新しい風を取り入れることを目指しています。
彼女のデザイン哲学はシャネルのエレガンスを継承しつつ、現代のトレンドや女性のライフスタイルに合わせて進化させること。ココ・シャネルが作り上げたブランドの原点に立ち返りながらも、新しいテクノロジーや素材、デザインの手法を取り入れています。そのため、彼女のコレクションは伝統的なシャネルの美しさと現代の斬新さが融合したものとなっています。
また、ブランドのアイデンティティを大切にしつつ、新しい世代の顧客層にもアプローチをかけています。彼女の繊細な感性と独自のビジョンが、シャネルの新しい章を築いているのです。ヴィアールのリーダーシップのもと、確実にシャネルは新たな時代を迎えています。彼女の手掛けるコレクションやプロジェクトはシャネルの未来をさらに輝かせることでしょう。
3.ココ・シャネルはどんな人?ブランドイメージにつながる名言集
ココ・シャネルはファッション界に永遠の足跡を刻んだ、輝かしい個性を持っている女性です。彼女の生涯はシャネルのブランドコンセプトに鮮烈な影響を与えました。
20世紀初頭、既存のファッションの垣根を打ち破って新しい自由なスタイルを提案しました。彼女自身がその象徴であり、シャネルの名前はブランド自体と一体化しました。
シャネルは常に革新的で個性的なブランドとして存在し続けることとなりました。そんなココ・シャネルは、生前いくつかの名言を残しています。この章では、ココ・シャネルの名言を紹介させていただきます。
3-1.「私は流行を作ってるんじゃないの。私が流行なの」
この言葉はココ・シャネルの絶対的なセンスの確信と自己主張の響きです。
彼女はトレンドを追いかける側ではなく、自身がトレンドそのものであるという自覚を持っていました。
この強い信念がシャネルのブランドコンセプトの中核になり、ブランドのアイコニックなスタイルとセンスを築き上げてると考えられます。
3-2.「下品な服装は服だけが目につき、上品な服装は女を引き立たせる」
シャネルはエレガントなデザイン哲学を最も美しく表現しています。
彼女はファッションが女性の美しさを引き立て、輝かせる手段であると信じていました。
シャネルの服はシンプルでありながらも、女性の自然な美しさを最大限に引き出すようなデザインやカラーが展開されています。
3-3.「シンプルさはすべてのエレガンスの鍵」
シャネルのブランドコンセプトに於いて、最も魅力的なのはこれではないでしょうか。彼女は複雑なデザインや派手な装飾を捨ててシンプルな美しさを極限まで追求したアイテムを多く産出しています。
シャネルの服はエレガンスと実用性の見事な調和を示し、シンプルなデザインが永遠の魅力を持つことを証明しています。
3-4.「公爵夫人はたくさんいるけれど、ココ・シャネルはひとりだけ」
この名言はシャネルの独自性とブランドの特異性を際立たせています。
彼女は他のファッションデザイナーとは一線を画し、自身の名前をブランドに結びつけるほど自分という存在を肯定していました。
シャネルのアイテムは特別な存在感と個性を反映し、ブランドコンセプトの一部として彼女の独創性を称賛しています。
3-5.「人生は1度きり。だから思いっきり楽しむべきよ」
ココ・シャネルの生き方に対する言葉であり、彼女のシャネルに対するブランドコンセプトにも熱い思いが加えられています。
彼女は自由と楽しさを大切にし、その思想はシャネルのアイテムにも反映されています。シャネルのアイテムは豊かな人生を楽しむ人々に向けられており、ブランドコンセプトの一部としてその楽しさを伝えています。
4.現在まで愛されるシャネルの魅力ポイント
4-1.長い歴史からくる伝統が長い
1910年にココ・シャネルによって設立された帽子屋のシャネル・モードは、その後も多くの変革と革新を重ねながら現在に至っています。
この長い歴史の中で、シャネルは一貫して「シンプルでありながらエレガント」なデザインを追求してきました。シャネルのアイテムを手にすると歴史と伝統が感じられ、時代を超えて受け継がれるブランドの魅力を実感できます。
たった一軒の帽子屋から始まった小さなブランドでも、ここまで信念を貫き通していることで長い歴史を作り上げているのは、最大の魅力と言えます。
4-2.高品質な素材を使用
シャネルの製品は品質の高いことから多くの人々に愛されています。その中でも特にこだわり深い革製品は、世界中から厳選された最高級の革や、生後から決められた期間しか経っていない革素材を使用しています。この革は独特の風合いを持っており、使うほどに艶やかさが増して深みが出てくるのが特徴的です。
また、シャネルの革職人たちの高い技術と経験の豊富さが、品質をさらに際立たせています。耐久性や手触り、洗練されたデザインなど多くの要素が組み合わさってシャネルの革製品はファッションに敏感な世界中のセレブや有名人から愛され続けています。
4-3.多様なアイテムラインナップ
シャネルはバッグから化粧品、香水、アクセサリー、服など幅広いカテゴリーでアイテムを展開しています。この多様なラインナップは、あらゆるシチュエーションやスタイルに合わせてシャネルのアイテムを楽しむことができるため、多くの人々から支持されています。
バッグは買えなくても、化粧品や香水であれば学生でも手に入れやすい価格帯のアイテムも多いです。その長い歴史から着々とラインナップを広げてきたシャネルのアイテムは、こだわり抜いた品質と圧倒的な汎用性の高さが魅力的です。
4-4.高いブランド認知度
「シャネル」という名前や、その象徴的なロゴであるココマークは世界中で非常に高い認知度を持っています。これは上質なライフスタイルやエレガンスを象徴しており、その存在自体が現代を生きる人のステータスとしての価値を持っています。
多くのセレブたちがシャネルのアイテムを愛用し、その魅力を発信していることもこの高い認知度を支えています。
5.シャネルを愛用している芸能人5選
5-1.タレント 千秋
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タレントの千秋さんは、日本の芸能人に於いてもシャネルを愛している人として知られています。独特なセンスで多くのファッションブランドを愛用していますが、シャネルのアイテムを特に愛しているそうです。
Youtubeの動画で持っているシャネルのアイテムを公開するほど「シャネラー」の千秋さんのアイテムは、個性的な色のアイテムが多いです。
5-2.モデル 益若つばささん
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モデルやメイクアップアーティストとして活動する益若つばささんは、SNSでシャネルのレインブーツを履いている姿がよく見受けられます。黒と白のモノトーンカラーで作られていることから、シャネルのブランドコンセプトを象徴しているアイテムと言えます。
益若つばささんは他にもシャネルのアイテムを使用しており、イヤーマフなどの可愛らしいものが好きなようです。
5-3.歌手 アリアナ・グランデさん
世界的な歌手であるアリアナ・グランデさんもシャネルの愛用者として知られています。インターネットの情報だと、ヴィンテージシャネルのワンピースや水着を着用している姿が見受けられるので、アパレルアイテムが好きなのだと考えられます。
2018年には、シャネルを爆買いする姿も注目されていた過去があるので、シャネルの愛好家と言えるでしょう。
5-4.歌手 リアーナさん
世界的な歌姫であるリアーナさんはファッションアイコンとしても知られています。特にシャネルのバッグやアクセサリーを愛用しており、現代のファッショントレンドを作っている方と言っても過言ではないでしょう。
また、第二子を妊娠している時に全身シャネルのコーディネートでニューヨークの街を歩いている姿が注目されていました。SNSでは「オシャレ過ぎる妊婦」として話題になっていました。
5-5.女優 小松菜奈さん
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日本を代表する女優の小松菜奈さんもシャネルのファンであり、SNSでもシャネルを身にまとった姿が投稿されています。彼女の優雅でクラシックなスタイルとカメリアのニットが完璧にマッチしており、そのスタイルは多くの女性から支持されています。
トータルコーディネートで組まれていることから、シャネルに対しての熱意が感じられます。
まとめ
いかがでしたか?
今回の記事では、シャネルの歴史について深く解説させていただきました。
現在でも多くの女性を虜にしているラグジュアリーブランドのシャネルの歴史の中には、様々なストーリーが存在しています。帽子屋として創業してから当時のファッション界の常識を覆すなどの功績をはありつつも、戦争やココ・シャネルの死を受けて2度の低迷期を経験していました。
何度転んでも立ち上がり続けたシャネルというブランドは、現代を生きる女性たちにまだまだ憧れ続けられるでしょう。