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2023年7月09日

【大判・小判】実際どのくらいの価値がつく?種類から魅力まで。

金・貴金属について

金という素材は、世界的にそして長い歴史の中で現代でも「価値のあるもの」として知られています。日本においても歴史上に登場する代表的な金は「大判・小判」です。

社会的な立場が確立され、経済的な余裕も出てきた方だと、小判収集を趣味としている方も少なくありません。資産形成の一部としても魅力的です。
また、子供たちや家族に日本の歴史や文化を伝える手段としても、小判は重要な役割を果たします。

さて、そんな小判にはいったいどの位の価値があるのでしょうか。種類や歴史についての知識もつけられるよう、小判の世界について徹底解説していきたいと思います。

1.そもそも大判・小判とは?

大判小判とは、日本で江戸時代に広く流通していた金貨の一種です。
その名前は、形状が小さな判形(長方形)であることが特徴的で、その形状から名前が付けられました。価値が金の重さと純度によって決まるため、わかりやすく、非常に信頼性の高い通貨として利用されました。

小判の歴史は、16世紀の戦国時代にまで遡ります。
当時の日本は、領土を巡る争いが絶えず、各地の大名たちは自らの領地で金や銀を採掘し、それを基に通貨を作っていました。その中で、豊臣秀吉は全国の金山を掌握。金一本化政策を推進し、全国統一の通貨として大判小判が生まれました。

その後、江戸幕府が成立すると、幕府は金山を直轄地とし、金貨の鋳造を国家の専売品としました。大判は奉納物、小判は全国で共通の通貨として広く流通するようになりました。特に江戸時代中期以降は商業が発展し、都市部では大量の商品が取引されるようになり、小判はその価値の安定性から、広く信頼される通貨として利用されました。

2.大判・小判の価値について

大判・小判の価値は、基本的に重さと金の純度によって決まります。そのため、小判1枚の価値はその時点での金の市場価格と大判小判自体の重さによって変動します。しかし、大判小判はただの金塊ではなく、その歴史的価値やコレクター品としての美術的価値も考慮に入れる必要があります。

2-1.小判1枚の価値はいくらか

小判の当時の価値は基本的に1両と決まっています。今のお金に換算すると4万円程度。しかし、これはあくまで一般的な数値であり、実際の小判1枚の価値は、その重さや純度、そしてその製造時期や状態によって大きく変動します。

例えば慶長小判であれば、小判のみの重さが17g強の重さ。時代劇などでよく見る千両箱(小判1000枚)はいまの価格で計算すると、約1億5,000万円程度の価値があるものとされている大金です。小判1枚が17gという重さは、現代の通貨である紙幣と違って、質にも量にも重みを感じます。

【豆知識】
千両箱とは・・・ 江戸時代に、金貨幣を保管するのに用いた容器。大判の千両(大判100枚)、小判の千両(小判1000枚)

2-2.大判1枚の価値はいくらか

大判は贈呈用に用いるのが一般的であるため、通常の商取引ではほとんど使われなかったため、当時の価値は明確ではありません。大判は小判よりも大きな金貨となっており、その価値も比例して高くなることだけはわかっています。大判は小判の10倍の価値があるとされています。

慶長大判は、その大きさと美しいデザイン、そしてその純度の高い金で作られていることから、その価値は非常に高いとされています。その価値は、その重さと金の純度、そしてその製造時期や状態によって大きく変動します。一般的に、慶長大判1枚の価値は数百万円から数千万円とされています。

3.価値がある大判・小判の種類

小判と大判は、どちらも日本の歴史的な金貨ですが、主にその大きさと価値で区別されます。

大判は5種類(慶長、元禄、享保、天保、万延)、小判は10種類(慶長、元禄、宝永、正徳、享保、元文、文政、天保、安政、万延)という種類があり、全体の大きさや金の含有量など細かい部分で違いがあります。同じ大判・小判でも、価値が全く違うんです。

大判と小判の違いは価値だけではなく、発行された時期や、製造方法、そしてデザインも異なります。これらの違いを理解することで、小判と大判の価値をより深く理解することができるので、特に価値のあるといわれているものを紹介させていただきます。

3-1.大判の種類

慶長大判

慶長大判は、拾両判、二条判、一ツ極印、サマ判、次判といった種類が存在します。

徳川家康が江戸幕府を開いた1603年から1614年までの時期を慶長時代に鋳造され、流通していた大判貨幣の一種。慶長大判は、通常直径約9cmほどの大きさで、表面には銀や金の紋章や文字が刻まれています。また、価値を示すために、1両や4両と刻まれた面もあります。

慶長大判は、その後の時代になると流通量が減少し、次第に使われなくなりました。しかし、現代では古銭コレクターや歴史研究者などが興味を持ち、貴重な古銭として高値で取引されることもあるほど、人気の金貨となっています。

元禄大判

元禄大判とは、元禄時代に行われた、旧貨幣を回収して新たに鋳造した新貨幣と引替える「吹き替え(改鋳)」に伴って鋳造された大判です。一世代前に使われていた「慶長大判」が吹き替えによって溶かされ「元禄大判」が作られました。

江戸時代には「経済の活性化」や「摩耗した貨幣のメンテナンス」「財政の赤字を補填するため」など様々な理由で吹き替えが行われていました。そのときすでに作られていた大判・小判などを一度集めて全て溶かしてしまい、金の純度を下げて再び作り上げることで、大判小判を量産することが可能になりました。そのため、江戸時代では何度も吹き替えが行われていて、元禄大判は最初の吹き替えの際に作り替えられた大判として誕生しました。

元禄大判の発行の際には、従来使われていた慶長大判と比べ、大幅に金の純度が下げて作られました。溶かされる前の「慶長大判」の純度は約67%で、元禄大判は52%前後でしたので、15%あまり低下。結果として大幅な金品位の低下により、財源を確保することに成功しました。元禄大判はおそよ3万枚程鋳造されたとされていました。品位や質自体が低かったので現存数は非常に少なく、希少性の高い大判なので、質はそこまで高くないながらも、買取相場は非常に高い水準となっています。

享保大判

享保大判(きょうほうおおばん)は享保10年(1725年)に鋳造開始、発行され110年以上という長い期間で流通した大判です。初めて公式に統一された価値が設定され、享保小判と一分判に対し、七両二分と価格が設定されました。元文元年(1736年)の元文の吹替え後は元文小判に対し十両の相場が一般化しました。

表面には「拾両後藤(花押)」と墨書きされていて、上下左右に丸枠桐紋極印がそれぞれ1箇所ずつの計4箇所に刻印。形状はやや角ばった楕円形。慶長大判よりやや丸みを帯びた形になっています。流通期間が長いことから、墨書きの書き改めも頻繁に行われたため、後藤家六代に渡る墨書が存在しています。

初期の十二代寿乗と最終の十七代典乗による墨書きは特別希少と言われています。裏面の中央に丸枠桐紋、亀甲桐紋、花押の極印、左下に「久・さ・竹」、「久・石・竹」、「久・坂・竹」、「久・宇・竹」、「久・七・竹」の3つの字の刻印が打たれています。

また、元禄大判の金の純度が低く製造されていた関係で貨幣自体の価値が下がってしまうインフレが起きてしまい、改善策として再度吹き替えが行われ、作られたのが享保大判です。長い期間使われていた大判になりますが、発行数自体があまり多くないため、現在の買取価格もとても期待できる形となっています。

天保大判

「天保大判」とは1838年(天宝9年)から1860年(万延元年)で享保大判と並行して流通していいた大判。ここまで紹介してきた大判は吹き替えをきっかけに製造されていましたが、天保大判はそうではなく、大判座(大判を製造するところ)の財政難対策で発行されたといわれています。

天保大判は前述した享保大判と重さや金の純度がほぼ同じで、「吹増大判(ふきましおおばん)」あるいは「吹継大判(ふきつぎおおばん)」とも呼ばれています。

万延大判

万延大判は、万延元年(1860)に発行された大判で、日本で最後の大判となりました。万延大判は、日米和親条約で自由化された交易により、小判が大量に海外流出したことを受けて、これまでの金の含有量を下げてつくれらました。

今までの大判は恩賞・贈答用に造られてきましたが、この万延大判は最初から通貨としての目的で作られていました。万延大判はわずか2年の短い間しか鋳造されなかったため、製造枚数は17097枚に留まります。

明治新政府は、1874年(明治7年)「旧金銀貨幣価格表」を発表し、江戸時代に使われていた古銭や大判・小判を回収し、新しい貨幣の材料に。そのため、現在残っている大判類は、明治維新の際に政府へ回収できなかったものということになります。さらに明治維新とともにほとんどなくなってしまったので、あらゆる古銭の中でも希少価値はかなり高い方です。

3-2.小判の種類

慶長小判

慶長小判とは、慶長6年(1601)年に流通が開始された小判のことです。当時の価値は1両。
楕円形に平たく伸ばして造られた貨幣で、茣蓙目(ござめ)や極印(こくいん)が刻まれています。慶長大判と合わせて「慶長金」と総称されることもあります。

慶長小判は「江戸座」、「京座」、「駿河座」と呼ばれるものがあります。
それぞれ作られた金座によって呼び方が変わります。

製造場所 名称
江戸 江戸座
京都
京座
駿河座

座による特徴にあまり差異はないため、一般の人ではほぼ見分けがつきません。そのため必ずプロの鑑定士に見てもらうことをおすすめします。

元禄小判

元禄小判(げんろくこばん)とは、1695年から1718年まで使用された小判です。慶長小判に次ぐ小判として鋳造されており、長い期間で使用されていたことで破損や摩耗が激しくなった慶長小判2枚に銀を混ぜて鋳造されていました。元禄小判の方が全体の金の純度が低くなっていますが、2枚で3枚分になったことから、目的としていた通貨不足の問題解決には成功しています。

一方で、通貨数の増加からインフレを引き起こした関係から多くの数が溶かされてしまった小判にもなっていて、歴史的にも多くの見解があります。より年代が古い慶長小判よりも価値が高くなる場合も多く、きれいな状態であれば300万円以上で市場で取引されることがあります。

宝永小判

宝永小判(ほうえいこばん)とは、1710年から1738年まで使用された小判です。元禄小判に次ぐ小判で、通貨の増加と小判の補修を目的にしていた元禄小判とは異なり、こちらは金貨としての価値を取り戻す目的で鋳造されました。

慢性的な金不足や自然災害などから慶長小判と同じ金を集めるのは難しかったため、小判自体を小さくして、1枚あたりの価値を高めようとします。金の純度で見ると元禄小判よりも下がっているため、目的通りの小判としては受け入れられませんでした。それでも現在の価格相場では古い年代の小判として希少価値が高い通貨となっています。

天保小判

天保小判とは、1873年から1874年まで使用された小判です。江戸時代における後期の小判で、技術進歩によって、少ない材料からローラーを使用して引き延ばして、上質な小判を鋳造できるようになっていました。

しかし、直近の文政小判の時期から名目貨幣の流通が増加して、天保小判の時期には主流になっている通貨です。価格相場では比較的新しい小判であることから他の小判よりも低い形となっています。一方で、献上用の小判として鋳造された「大吉」の刻印が付いたものは、希少価値が高く、市場でも人気が高いものとなっています。

安政小判

安政小判(あんせいこばん)とは、1895年6月1日に鋳造されて、同年8月11日の鋳造停止、1874年に使用停止された小判です。米国の黒船の来航から海外との交易を始めた江戸幕府ですが、その交易の中で国内の金が海外に流通してしまうことをリスクとしてとらえていました。

その対策として、直近の天保小判よりも金の含有量を下げたこの小判を現行の通貨にしようと考えます。しかし、この政策はアメリカから抗議を受けてしまい、3ヶ月という期間であっという間に鋳造を停止させられてしまいました。価格相場では、上記の時代背景から鋳造数・流通数共に少ない小判として希少価値が高くなっています。

享保小判

享保小判とは1714年から1827年まで使用された小判です。金貨としての価値は依然として慶長小判が最も良質とされる中で、江戸幕府は新しい小判や別の通貨で金の価値を高めようとしましたが、状況は変わらず。

享保小判はそんな慶長小判に並ぶ価値の小判とするために鋳造された小判ですが、含有量が減った元禄小判や宝永小判を吹き替えに使用したため貨数が減少させてしまいます。発行後にはデフレを引き起こしてしまう結果になり、目的を達成する小判としても不十分でした。

市場の価格相場では、希少価値のある通貨として扱われており、100万円台での販売も少なくありません。

元文小判

元文小判とは、1736年から1827年まで使用されていた小判です。小判が鋳造される前は、武士や農民が貧困になり、財政難に陥っていた時期というのもあり、江戸幕府は様々な対策を打っていましたが、思うように結果を出すことはできずに成果は得られませんでした。

そこで、幕府は金の純度を低い通貨を鋳造して、通貨の量を増やすといった政策を実行。旧通貨にあたる享保小判と慶長小判と交換してこの小判が鋳造されました。結果として通貨の数は大きく増え一時的にインフレが起こりますが、少し経つと相場は安定して80年以上使用される小判になりました。

市場の価格相場では、保存状態によって価格が大きく変動します。状態が良ければ高くて100万円から取引されているものも存在します。

文政小判

文政小判とは、1819年から1842年まで使用された小判です。元文小判に次ぐ小判であり、当時の幕府が財政が悪化していた状態と、元文小判が長期間の使用で損傷が激しくなったことから、新たに鋳造されました。

金の純度は下がっており、江戸時代に流通した小判の中でも最も低い純度の小判となっています。このことから損傷している元文小判と無料で交換はできたものの、実際のところ、交換はあまり進んでおらず、文政小判の鋳造後もしばらくの間は元文小判が流通していました。

文政小判が発行されてから後半の同じ時期では、紙幣などの流通が増加し始めており、小判は人々から徐々に使用されなくなっていきます。比較的新しい年代の小判であるため、他の小判と比較しても少しだけ価値が下がっている傾向が見られます。

万延小判

万延小判とは、1860年から1874年まで使用された小判です。江戸時代では最後に鋳造された小判で、新小判や雛小判という別の名称があります。

金の価値を下げないようにしつつ、重量を3割以下に減らしたこちらの小判が鋳造されますが、旧小判を所持していた人たちが両替を行ったことによるインフレが発生。そこから金貨等の引換に関する大きなクーデターを呼び、結果的に江戸幕府が財政を制御できないほどに、力が衰えたことを認めざるを得ない状態になってしまいます。

現在の価格相場では文政小判と同様に比較的に新しい年代のため、前述した小判よりもやや価値が低い傾向が見られますが、それでも30万円前後で取引されているものも少なくありません。美品であればさらに高くなる可能性があります。

正徳小判

正徳4年(1714年)に登場したのが正徳小判です。江戸時代中期の政治家・新井白石(あらいはくせき)が、当時の金貨事情に不安を抱き、徳川家の権力を保つために金の純度が高い小判を鋳造するよう主導した歴史があります。

しかし不幸なことに巷では「慶長小判よりも質が低い」という悪い噂が広まってしまいます。結果、たった数ヶ月という短い期間で吹き替えの運命を辿ることに。不遇な小判ではありますが、徳川家の権力維持をかけた金の純度が高いものなだけあって、相応の価値がついています。鋳造期間の短さからそもそもの流通量が少なく、希少性が高い小判となっているので現在の買取相場はきれいな状態であれば100万円以上になるといわれています。

4. 大判・小判の本物の判別方法

4-1.大判・小判の特徴と本物の見分け方

大判・小判の本物を見分けるためには、その特徴を理解することが重要になっています。形状や重さ、そして金の純度によって特徴づけられます。多くの大判小判には製造時期や製造者、そしてその価値を示す刻印が施されています。これらの特徴を理解、そして確認することで大判・小判の本物を見分けることができます。

しかし、偽物の小判も非常に高度に作られており、見た目だけでは本物と偽物を見分けることは難しい場合も少なくありません。そのため、小判の本物を見分けるためには、専門的な知識と経験が必要となります。まずは、買取店などに持ち込んでみてその道のプロに鑑定を任せるのがおすすめです。

4-2.大判・小判の価値を正確に評価するための方法

大判・小判の価値を正確に理解するためには、その重さと金の純度、そしてその状態を正確に測定することが重要です。これらの測定は、専門の機器と幅広い知識が必要となります。そのため、小判の価値を正確に評価するためには、信頼できる専門家・プロに依頼することが最も確実な方法と言えます。

また、小判の価値は、その時代の経済状況や金の市場価格にも大きく影響されます。そのため、小判の価値を評価する際には、これらの要素も考慮に入れる必要があります。

5. 【よくある質問】大判・小判と日本円

1両の小判はいくら?

1両の小判の価値は、その重さと金の純度、そしてその状態によって決まります。一般的に、1両の小判の重さは約3.75グラムで、その純度は約85%とされています。これらの数値を基に、1両の小判の価値を計算すると数十万円から数百万円となります。

1両は今の何円?

1両の価値を現代の日本円で表すと、その価値は大きく変動します。これは、金の市場価格が日々変動するためです。しかし、一般的に、1両の価値は数十万円から数百万円とされています。

江戸時代の一文はいくら?

江戸時代の一文の価値を現代の日本円で表すと、その価値は非常に低いとされています。これは、一文が銅貨であること。また、価値が金貨である小判や大判に比べて非常に低いためです。一文の価値は、その時代の経済状況や銅の市場価格によって大きく変動します。

大判 1両 いくら?

大判1両の価値は重さと金の純度、そして保存状態によって決まります。一般的に、大判1両の重さは約150グラムで、その純度は約85%とされています。これらの数値を基に大判1両の価値を計算すると、現在の買取相場は数百万円から数千万円となるものも多くあります。

6. まとめ

大判・小判の価値は、その形状や重さ、金の純度、歴史的背景によって決まります。小判と大判は、その大きさと価値で区別され、中でも慶長大判はその美しいデザインと高い金の純度で知られています。大判・小判の価値を正確に評価するためには、その重さと金の純度、そしてその状態を正確に測定することが重要です。また、その価値は、その時代の経済状況や金の市場価格にも大きく影響されます。

小判の価値を日本円で表すと、一般的な小判1枚の価値は数十万円から数百万円、大判1両の価値は数百万円から数千万円となることが多いです。しかし、大判・小判の価値は日々変動するため、正確な価値を知るためには専門家やプロに依頼することが最も確実な方法と言えます。

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