2023年7月15日
【独創的で強いこだわり】独立時計師とは?魅力や代表作を徹底解説
時計
ブランドに属さずに個人で一から時計を創り出す独立時計師をご存知でしょうか。彼らは組織や集団に囚われないので、真に自分が納得する時計だけを創り続けています。合理的な大量生産からかけ離れ、一本一本を手造りで時計に向き合う彼らの姿は、かつて屋根裏で時計作りに勤しんだといわれるキャビノチェそのものです。この記事では独立時計師の魅力や代表作についてまとめます。
目次
1.【独創的で強いこだわり】独立時計師とは
独立時計師とはどんな人たちをいうのか、どんな時計師なのかについてここではまとめます。
1-1.メーカーやサプライヤーに属さずに個人で活動する時計師
独立時計師とはメーカーやサプライヤーに属さずに個人で活動する時計師のことです。通常、時計職人というと会社に属し、修理や組み立てなどを行いますがそれらは大抵分業となっており、決められたモデルの決められた作業のみを行います。会社にとってもっとも効率的な製造方法だからです。
しかし独立時計師はデザインから組み立て、調整といった時計製造に関わることだけでなく広報や仕入れなど全てを自分で行います。そうすることで真に自分が納得できる時計づくりができるようになるためです。そのため独立時計師の時計はどれもオリジナリティーに溢れ手間がかけられています。
1-2.独立時計師が集まる組織「アカデミー」について
独立時計師アカデミー(AHCI)とは独立時計師から構成されており、伝統的な時計技術の継承を目的とした組織です。1985年にスヴェン・アンデルセンとヴィンセント・カラブレーゼによってスイスで設立され、2022年現在では35名が所属しています。いずれも指折りの技術を持った時計師の集団です。
アカデミーに所属するには厳しい条件をクリアする必要があります。まず、正会員2名の推薦と見本市に新作の出展を行うことで準会員になれます。その後2年続けて新作発表をすることと総会で全会一致の賛成があって初めて正会員になることができます。
アカデミーに所属しない独立時計師も多くいますが、アカデミーによる広報活動や見本市もあり注目を集めているため、所属することで技術力やクオリティーを証明しやすいといった利点もあります。例えば2022年3月30日〜4月5日にはバーゼルワールドのような合同展示会への参加ではなく単独の新作展示会を行っています。
1-3.日本人独立時計師について
アカデミー正会員の日本人は2022年8月時点で菊野昌宏、浅岡肇、牧原大造の3名となります。それぞれフィリップ・デュフォーや様々なものに影響を受けながら、自分の手で時計を創り出す独立時計師となりました。
元自衛隊の菊野昌宏、元料理人の牧原大造など変わった経歴の持ち主が多いですが、時計にかけるこだわりは海外の時計師にも負けず劣らず。日本らしさを表現した時計もあり、ぜひ一度見てほしいものばかりです。それぞれの時計師については後述します。
2.【独創的で強いこだわり】独立時計師の魅力
独立時計師の時計にはブランドの時計とは違った魅力が多くあります。いわゆるブランド品とは違い、強いこだわりを貫き通す彼らの時計には人を惹きつける魅力があります。ここでは独立時計師の魅力についてまとめます。
2-1.個人で製作するため、強いこだわりを持つ時計が多い
独立時計師が創る時計はどれも強いこだわりを感じさせるものばかりです。元々大手ブランドで技術職を務めながらも、独立した時計師が多いことを考えると当然かもしれません。
独立できるほどのスキルがあれば役職に就いて安定して高い収入を得ることも難しくなかったはずですが、それらを捨ててでも自分がやりたいことを貫きたかったということ。それだけこだわりたかった時計のはずですから、当然そこに妥協はありません。
独立時計師の時計を扱う店舗では彼らの時計を作品と呼ぶこともあります。ビジネスアイテムとしての時計ではなく、まるで美術工芸品のような彼らの作品は、他では感じられないほどのこだわりの強さと美しさを放っています。
2-1-1.ブランドに所属しないことで開発の自由度が高まる
ブランドに所属しないことで開発の自由度が高まるのも独立時計師の特徴です。ブランドによる商品展開はあくまで売れることが前提にあり、ブランドらしさは伝わっても売上が得られないモデルは展開されません。独立時計師はそれができます。
例えるなら、多くの人に80点をもらえる時計づくりを行うのがブランドで、自分の時計づくりを理解して買ってもらえる人に届けばいい、一部の人に120点がもらえるようにつくるのが独立時計師です。時にはあまりに斬新なデザインで驚かされることもありますが、独立時計師の時計はそれが魅力ともいえます。
2-1-2「こだわり>コスト」を感じさせる時計が多い
独立時計師の生み出す時計でコスパがいいという概念はありません。通常のブランドであれば広告費や戦略上で設定した金額が上乗せされるなど、実際の時計づくりには関係ない費用が乗った価格となっていますが、独立時計師が生み出す時計にはそれらがありません。なのでむしろ手間がかかっている割に安いともいえます。
他ブランドの同じ機能のモデルと比較することはできますが、生み出されるまでのストーリーや思い、こだわりを聞いた上で時計と向き合ってみると、そのストーリーを引き継ぎたいかどうかで手に取るかどうかを考えるので、ブランド物の価格検討とは少し違った見方が必要です。彼らにとってはコストやシリーズ展開ではなく、こだわり抜いた時計への思いが最優先にあります。
実は独立時計師の時計は値段が高いイメージをもつ方が多いです。実際、彼らの中でも複雑機構を得意とする時計師や非常に長い期間を使って一本を創り出す場合は、他のブランドと比較しても高額になることもあります。しかしブランドの生み出すユニークピースのような特別なコンセプトや戦略上の限定生産よりも、独立時計師がひたすらに時間を投入して創り出した時計が高額なのは納得しやすいのではないでしょうか。
2-2 独立時計師の時計にはストーリーが存在する
通常、ブランドで生み出される時計の多くは新たなムーブメントの完成に合わせた新作やカラーリングやサイズアップなどのマイナーチェンジで展開されますが、独立時計師が生み出す時計にはどれもストーリーが存在します。なぜこのモデルをつくるに至ったのかを突き詰めて考えられた時計はどれも一つ一つに意味をもつこだわりの深い時計ばかりです。
2-2-1 開発の経緯や思いを本人から聞くことができる
独立時計師が生み出す時計のストーリーが知りたいなら、雑誌やインターネットのインタビューを見るのが最も簡単です。大抵、本人が答えているため、例えばブランドの広報担当が答える内容よりももっと踏み込んだ話を聞くことができます。
もっと深い話が聞きたい場合、本人から話を聞くこともできます。彼らの時計が展開されるイベントに足を運んだり、今ならSNSでのコメントにも答えてくれるかもしれません。創り出す本人から聞くストーリーや思いは、唯一無二の熱量となって答えてくれるのではないでしょうか。
(ちなみに独立時計師は変わった方が多いので、下調べしてから聞くことをお勧めします。)
2-2-2.真に自分が納得する時計造りを行う
独立時計師が生み出す時計は、真に自分が納得したものだけです。彼らのブランドの多くが自分の名を冠するため、ブランドの評価=自分の評価となるのです。そのためか、通常のブランドで考えられるコスト感は独立時計師には通用しません。
独立時計師によっては一年かけて一本を創り出す場合もあります。自分の分身となる時計を納得できるレベルまで昇華させることへの妥協はありません。コストや納期など、様々な理由で妥協せざるを得ないブランドとはコンセプトがそもそも違うのです。
2-3.希少性が高く、一般的に知られていないことが多い
独立時計師の時計はブランドに比べ、知名度が圧倒的に低いです。それもそのはず、広告をほとんど打たないことが理由です。
一般的なブランドは雑誌(時計に限らず。高所得者層が読む雑誌全般に掲載されます)や空港、駅、インターネットなど様々な広告を打ち販売へ繋げます。対して独立時計師は自社サイトや代理店、グランプリなどがあれば賞を狙いつつ広報活動、アカデミー会員であればアカデミーの広報など、ブランドとは比較になりません。
しかし、独立時計師は一本一本に時間をかけて手造りで生産するためそもそも希少性が高く、広報活動を強化しても手に入らない人がいたずらに増えるだけです。広報活動を強化するよりも、自身が納得した時計づくりを行い、それを理解してくれる人々を着実に増やしていくのが重要と考えているようです。
2-3-1.一本一本に時間をかけて手造りによる少量生産
独立時計師は一本一本に時間をかけて手造りにこだわります。昔ながらのすべて手作業で行う人もいれば、最新の機械を利用しつつ仕上げなどは必ず自分の手で作業するといった時計師もいます。
たとえばフィリップ・デュフォーはパーツの磨きにジャンシャンという木を使います。これはジュウ渓谷の伝統的な技法で、機械を使うと角部に多少丸みが出てしまいますが、ジャンシャンの木で手作業ならば磨きをかけつつしっかりエッジを立たせることも可能です。陰影がしっかりしたシルエットは手作業ならではですが、今ではこの仕上げを行うのはフィリップ・デュフォーしかいません。
とにかく時間がかかるので生産数も増やせません。しかもムーブメントの各パーツの面取りは多くの人が気にする部分ではありません。しかし彼自身のこだわりとして、すべてのパーツを手作業で仕上げます。その思いが時計好きに強く響くのです。
2-3-2.広告費をかけないので周知されにくい
独立時計師の時計は生産数が少ない上に広告費をかけないため、ブランドに比べ知名度は低いです。一般的なブランドは雑誌や駅、空港など様々な媒体で広告をうつため知名度が高い代わりに広告費が時計に上乗せされますが、独立時計師にはそれがありません。
時計に限らずハイブランドの製品には多くの広告費がかけられており、それらは時計製造に関わるものではなく、知名度やブランドの格を競い合うためのものです。もちろん多くの人に知られていることも価値の一つで信頼性の証でもあるのですが、独立時計師の時計は広告を打たない上に生産数も少ないため周知されにくく、時計愛好家など一部の人だけが知っているブランドといえます。
しかし独立時計師の時計の価格は広告費が入っていない純粋な時計製造に関わる金額と考えると、知名度は低いもののコストがしっかり時計に反映されています。知名度をとるか、時計そのものへの手間やこだわりをとるかは、独立時計師の時計を選ぶ際に考えることの一つでしょう。
2-4.ブランドとのコラボによる特別モデル
独立時計師による時計は一部個人での活動だけではなくブランドとのコラボレーションで生み出されるモデルもあります。知名度こそ高くないものの、時計愛好家やブランドからは注目を集めている独立時計師の技術を求め、ブランドからコラボレーションを依頼をするケースが多いです。
アカデミーを通して依頼することもあれば、独立時計師個人へ依頼するケースなど様々ですが、コラボレーションモデルのいずれも独立時計師の独創的で斬新なデザインや機構など、ブランドからは一線を画すものばかりです。
2-4-1.ゴールドファイル
ゴールドファイルはドイツの革製品メーカーで、鞄や財布、ベルトなどの革製品をメインとしながらもサングラスや時計など世界観を広げているブランドです。
ゴールドファイルはその審美眼を時計に熱く向け、独立時計師アカデミーとのコラボレーションを行い、ゴールドファイルの名を冠した特別なモデルを発表しました。フランク・ジュッツィやヴィアネイ・ハルターなどがこれに参加し、ゴールドファイルのラグジュアリーで独創的な世界観を展開しています。
この取り組み自体は一時的なプロジェクトで、長続きするものではありませんでしたが、独立時計師の世界観を感じる手段としてコラボレーションという手段が確立できたといえるでしょう。
2-4-2.ハリー・ウィンストン
ハリー・ウィンストンは言わずと知れたハイジュエラーで、特にダイヤモンドの扱いに長けておりキング・オブ・ダイヤモンドの二つ名をもつブランドです。2001年から展開しているオーパスシリーズは独立時計師とのコラボレーションによって、既存の時刻読み取りを覆すデザインや独特の機構など革新的なモデルを次々と発表しています。
これまでにフランソワ・ポール・ジュルヌ、アントワーヌ・プレジウソ、ヴィアネイ・ハルターなど多くの独立時計師とのコラボレーションを成功させています。最新のオーパス14ではグルーベル・フォルセイで活躍していたフランク・オルニーとジョニー・ジラルダンがタッグを組んで製作された1950年代のジュークボックスをイメージして製作されたモデルが展開されています。
3.【独創的で強いこだわり】代表的な独立時計師
ここでは代表的な独立時計師についてまとめます。アカデミー所属の時計師が中心となります。
3-1.スヴェン・アンデルセン
スヴェン・アンデルセンはアカデミーの設立者として、最も有名な独立時計師の一人です。デンマーク生まれの時計師で名門の時計店ギュブランで働いている際に生み出したボトル・クロック(ガラス瓶の中に時計が入っている)によってパテック・フィリップ社から白羽の矢が立ち、クロノグラフやパーペチュアルカレンダーなどを手掛けるコンプリケーション部門で働くこととなりました。(ロジェ・デュブイは隣の席にいたとか)
9年間パテック・フィリップ在籍後にアンデルセン・ジュネーブとして独立し、今でも現役で新作の製作を続けています。1985年には独立時計師のヴィンセント・カラブレーゼと独立時計師アカデミーを設立し、独立時計師の草分け的存在です。
また、複雑系の開発においても有名でパーペチュアルカレンダーでも狂う閏年の例外(西暦年号が100で割り切れて400で割り切れない年は平年とする。よって2100年は閏年ではなくなる)に対応したセキュラ−カレンダーを初めて開発した時計師としても知られています。
3-2.フィリップ・デュフォー
フィリップ・デュフォーは日本で最も有名な独立時計師の一人です。スイス生まれでジャガールクルトに所属し、その後独立し同名のブランドを立ち上げました。古い時計の修理に始まり、懐中時計や腕時計の製作を始めました。
彼の名を冠する時計は4種類のみです。懐中時計が1種類、腕時計が3種類です。グランプチソヌリが最初のモデルで、グランソヌリ(毎正時と15分ごとにチャイムを自動的に鳴らす機構)とプチソヌリ(15分刻みのチャイムだけが鳴る)の2つのモードが切り替え可能で、後にムーブメントを小型化し腕時計としても発表しました。
後に脱進機を2つ搭載したデュアリティ、究極のシンプルさのシンプリシティーは高い人気となっている2本です。特にシンプリシティーは世界的に評価が高く、新規生産をストップした今でも求め続ける声は止みません。
3-3.ヴィンセント・カラブレーゼ
ヴィンセント・カラブレーゼはイタリアナポリ出身で、フィリップ・デュフォーとともにアカデミー設立に尽力し、初代会長を務めた時計師です。
クオーツ時計が世界を席巻していた1980年にコルムとのコラボレーションで製作したゴールデンブリッジが特に有名で、ジュネーブの国際発明展で優勝し技術的偉業として知られるようになりました。通常よりも少ない部品点数で全ての部品が一直線上に設計され、文字盤からムーブメントを見ることができるシンプルな美しさが多くの人を惹きつけました。
スイスローザンヌで自身の名のブランドを興し、2008年にはブランパンに売却。自身もブランパンでムーブメントの研究や開発を行った後、2012年にはブランパンを出てジャン・カゼスの時計やオリジナルクロックの開発を続けています。
3-4.ジョージ・ダニエルズ
ジョージ・ダニエルズは既に亡くなった時計師です。英国時計学会会長で、アカデミーの会員でした。時計修復師として働きながらブレゲの時計の研究やそれを模した古典的な懐中時計の製作を行っていました。経験と技術を詰め込んだ本を出版しており、ジ・アート・オブ・ブレゲや時計の製作法を解説したウォッチメイキングなどがあります。
1978年、コーアクシャル脱進機を開発。2つのガンギ車を同軸上に備えることで歯先にかかる摩擦を減らし潤滑油の補給作業が不要となりオーバーホールまでの期間を長くすることに成功しました。この機構をパテック・フィリップやロレックスに持ち込んだものの採用されませんでしたが、オメガが量産化に成功し、現在でもデヴィルに搭載されています。
3-5.ポール・ゲルバー
ポール・ゲルバーはスイスチューリッヒで工房を立ち上げ、博物館の所蔵品の修理やブランドから製作依頼などをこなしました。1996年に自身の名を冠するブランドを立ち上げ、ローターを2つ搭載したレトログラード表示のレトロツインで特許を取得しています。
当時世界で最も複雑と言われたフレデリック・ピゲ(当時ルイ・エリゼ・ピゲムーブメント)に世界最小のフライングトゥールビヨン、スプリットセコンドクロノグラフ、ジャンピング60分計カウンター、フライバッククロノグラフ、パワーリザーブ、チャイムを追加したムーブメントは世界一パーツ点数が多い(1116点)としてギネスブックに掲載されています。世界最小の2.2cmの高さの木製クロックもギネスブックに載っています。
THE MIH WATCH(ラ・ショー・ド・フォン時計博物館公認モデル)やポルシェデザインへのムーブメント提供など多岐にわたる活躍をしました。現在ではメーカーへのムーブメント供給は辞め、奥様が時計製造以外を、自身は一人で時計製造を継続しています。
3-6.ヴィアネイ・ハルター
ヴィアネイ・ハルターは17歳からアンティークウォッチの修理を手掛け、1993年に自身の名を冠したブランドを創業しました。アカデミーに所属しており、有名ブランドからの開発依頼もこなすなど、様々な活動をしています。
1998年発表のアンティコアは潜水艦の窓枠をイメージしており、3つのダイヤルは全て独立して動きます。全行程を手作業で行っており、年間5本のみの生産となることや特徴的なデザインが注目を集めました。2003年にはハリー・ウィンストンのオーパス3の製作を担当し、全ての針がジャンピングアワーからなる表示機構は強烈なインパクトを残しました。
3-7.フランソワ・ポール・ジュルヌ
フランソワ・ポール・ジュルヌはフランス生まれの独立時計師です。アンティークウォッチの修復師の叔父をもち、幼い頃から時計への興味が強かった彼は14歳のときに時計学校へ。卒業後は叔父のアトリエで時計修復の腕を磨きました。20歳のときには独自のトゥールビヨンを開発するなど、天才時計師としてのキャリアをこの頃から歩み始めました。
その後独立し1987年にはアカデミーに所属し、ブランドとのコラボレーションにも参加し独創的な時計を次々と創り出しています。1996年には自身の名を冠したブランドを設立しています。
フランソワ・ポール・ジュルヌの時計はレゾナンス機構を応用したクロノメーター・レゾナンスやマリンクロノメーターから着想を得てつくられたクロノメーター・スヴランなど、クラシカルで複雑、しかし機能的な時計が特徴となっています。
こだわりもかなり強く、2004年以降につくりだされたムーブメントは18Kゴールド製となっており、他ブランドにはない美しさを放っています。また、日本での取り扱いが非常に少なく正規店は南青山の東京ブティックと兵庫ブティックのみです。世界初の直営店としてオープンしたのも南青山で、日本のものづくりへの共感から日本でなら自分の時計が理解してもらえるのではと期待したと言われています。
3-8.アントワーヌ・プレジウソ
アントワーヌ・プレジウソはジュネーブ生まれの時計師で、時計師の父により幼い頃から影響を受けていました。7歳で機械式時計の組み立てに成功した逸話が残っています。時計学校ではフランクミュラーと同じ部屋で学び、首席で卒業後パテック・フィリップに入社。時計修復に従事しアンティコルム(時計専門のオークション会社)を経て独立しました。フランクミュラーがウォッチランドを設立する際に声をかけられたものの断ったようですが、今でも家族ぐるみの付き合いが続いていると言われています。
自身の名を冠したブランドではトノーケースのシンプルなモデルが主ですが、特に有名なのはエロティックオートマタです。正式名称はアワーズオブラブ。また、ブランドとのコラボレーションに積極的に参加しており、トゥールビヨン搭載のオーパス2の開発に携わりました。
一時は17名ものスタッフと活動していましたが心臓病により倒れてしまい、現在は一人で製造を続けています。2015年に息子と共同開発したトリプルトゥールビヨンが注目を集めました。
3-9.菊野昌宏
菊野昌宏は30歳のときに日本人で初めて独立時計師となりました。元々フランクミュラーに所属していた経歴もありますが、前身は自衛隊。上官が身につけていた機械式時計から興味をもち、ヒコ・みづのジュエリーカレッジに入学し知識・技術を深めていきました。
菊野昌宏の作り出す時計で特徴的なのは、手造りだということ。江戸時代に創られた万年時計の分解調査プロジェクトに参加した際に一歯一歯ヤスリで削りだした歯車が組み込まれているのを見て衝撃を受けたといいます。この経験から、時計を創り出す際にコンピュータは一切使わず、手作業にこだわっています。そのため、全て受注生産です。
もう一つ、和を表現しているのもこだわりです。日本調度や庭園に通ずる和を表現した時計は美術工芸品のような美しさを放ちます。特に古時刻(干支を使った時刻表示)を表現した和時計や、オートマタとリピーターを融合させた折り鶴は彼を代表する時計として、世界的に知られています。
3-10.浅岡肇
浅岡肇は2009年に日本人で初めてトゥールビヨンを搭載したモデルを発表したとして世界的に注目を集めました。ムーブメントの設計から組み立て、パーツの製造まですべて自分の手で創り出す世界的に見てもハイレベルな時計師です。経歴は独特で、東京藝術大学卒業後に3DCGの技術で広告、雑誌、CDジャケット等を手掛けていましたが、腕時計のデザインに関わったことをきっかけに独学で時計製造を始めています。
浅岡肇の創り出す時計は設計から製造、販売まですべて自分で行うため少量生産となりますが、ジュエラーTASAKIとのコラボレーションなど企業とのタイアップも行っています。パーツの製造過程もSNSで発信しており、どれだけのこだわりを持って一つ一つへの仕上げを行っているかを垣間見ることができます。
発表しているのはトゥールビヨンやツナミ、クロノトーキョーなど機能としてはシンプルなものが多いですが、ムーブメントの仕上げや手造りの文字盤などシンプルながら凄まじい練度の時計であることが見て取れます。
3-11.牧原大造
牧原大造もかなり異色の経歴をもつ時計師です。調理の専門学校を卒業後に8年間様々なレストランで腕をふるってきました。27歳のときにヒコ・みづのジュエリーカレッジで時計修理の道に向かって進んでいた際にフィリップ・デュフォーとの出会いを経て独立時計師を目指したといいます。
牧原大造の創り出す時計の特徴は製造と彫金の両方を自分の手で行うことです。一部のブランドで特別なモデルにだけ施されることのある彫金ですが、製造から彫金までを一人で手掛けるケースは極めて稀です。時計製造とは全く違う技術が求められるため、在学中に独学で学んでいます。
もう一つ、日本の伝統工芸を時計で表現するといったコンセプトを持っています。江戸切子の技術を使ってメジロと桜を表現した花鳥風月や菊繋ぎ文様の文字盤の菊繋ぎ紋 桜など、日本の伝統工芸を美しく表現しています。
3-12.カリ・ヴティライネン
カリ・ヴティライネンは今最も注目されている独立時計師の一人です。フィンランド生まれで父親の友人が経営する時計修理店で職業体験したことがきっかけで時計の道に入りました。スイスで時計学校で最高峰とされるWOSTEPに入学し、後に講師としても尽力しました。
2002年には独立時計師としてデビュー、2005年にヴティライネンブランドとしてバーゼルワールドで発表した10分単位で鳴るミニッツリピーターが注目を集めました。自社ブランド用にケースメーカーと文字盤メーカーを傘下におき、サプライヤーに頼らないほとんど全て自社製の時計を創り出すことにこだわっています。また、ウルバン・ヤーゲンセンを買収し自ら新CEOに就任するなど、精力的に活動を拡大しています。
ヴティライネンの創り出す時計の特徴は、精美なギョーシェ文字盤とブレゲ針を彷彿とさせる先端近くに輪が付いた針、エナメルや蒔絵など非常に美しく貴重、しかし廃れつつある技法を用いた文字盤です。
3-13.ハブリング2(アカデミー外)
Habring2(ハブリングツー)はアカデミー会員ではありませんが、今最も期待されている独立時計師の一人です。正確には二人なのですが、というのも夫婦で活動しているブランドだからです。古今東西、様々な時計ブランドが存在しますが、夫婦で活動するブランドは極めて珍しいです。
Habring2はリチャード・ハブリングとマリア・クリスティーナが2004年にオーストリアで始めたブランドで、リチャードはIWCで技術部長を、Aランゲ&ゾーネでは技術顧問を務めており、IWCではスプリットセコンドクロノグラフが搭載したドッペルクロノやディープワンの開発に携わったといわれています。
Habring2の時計はIWCのヴィンテージウォッチに見られるレイルウェイとセクターダイヤルを組み合わせたようなデザインが人気です。秒針が1秒刻みで動くジャンピングセコンドやプッシュボタンを使わずにリューズでクロノグラフを操作する機構など、複雑でオリジナリティー溢れる機能が特徴です。
また、自社製ムーブメントの開発にも力を入れており、2014年には開発・調整・組み上げの全てをオーストリアで行うCal.A11Bを搭載したモデル「Felix」は2015年のジュネーブ時計グランプリ(GPHG)で小さな針賞を受賞しています。
3-14.クドケ
クドケは時計師ステファン・クドケによるブランドです。グラスヒュッテオリジナルでトゥールビヨンなどの複雑時計の開発や修理に携わり、ブレゲやブランパン、オメガの修理技術を磨いた後に独立しました。
クドケの時計の特徴はアーティスティックなスケルトンウォッチであることです。デザインの考案から肉抜き、面取り、メッキ、彫金まで全ての作業を手作業で行います。200年前の時計づくりと同じで、一つ一つに長い時間をかけて創り出されます。ライオンや蛸、スカルなど立体的な彫金など、まさに芸術品です。
2018年には念願の自社製ムーブメントKaliber1を開発し、スケルトンウォッチだけではないドレスウォッチにも展開をスタートしました。それらの功績もあり、2022年にアカデミー正会員となっています。
4.【独創的で強いこだわり】独立時計師による代表的な作品
4-1.アントワーヌ・プレジウソ アワーズオブラブ
アントワーヌ・プレジウソによるアワーズオブラブは、一見シンプルなトノーケースの3針モデルです。しかしリューズを巻きながら裏蓋を見てみると、男性が女性に向けて腰を振るさまを見ることができるオートマタ、からくりとなっています。モデルによって背景が砂漠だったり、港だったり、様々なバリエーションがあります。
文字盤のデザインはブレゲ数字に似たクラシカルなオールアラビアインデックスが主で、針はリーフ針を採用。文字盤カラーやインデックスのカラーによってレイルウェイとギョーシェを使い分けています。一見、王道のクラシカルウォッチ、持ち主にだけ実はエロティックな遊び心といったギャップが人気を博しました。
4-2.フランソワ・ポール・ジュルヌ トゥールビヨン・スヴラン Ref.T
トゥールビヨン・スヴランはフランソワ・ポール・ジュルヌにとって初めて量産化した時計です。1999年のバーゼルワールドで初公開され絶賛されたことに始まります。
トゥールビヨン・スヴランは置き時計やマリンクロノメーターに搭載されたルモントワール機構を初めて腕時計に搭載したとされるモデルです。これまで理論上精度が維持されるはずだが、実際にはビジュアル重視とされてきたトゥールビヨン機構ですが、ルモントワール機構の振り角とトルクを一定にすることで確かに精度に磨きがかかりました。
12時位置にレトログラード式のパワーリザーブ表示、3時位置に時分針、9時位置にトゥールビヨンのキャリッジといった配置です。実は初代トゥールビヨン・スヴランといえるトゥールビヨンNo1も似たデザインですが文字盤の完成度やスチールバックといった点で現行よりもクラフト感の強い印象です。1991年にバーゼルワールドに持ち込んだ際には大手ブランドからはほぼ見向きもされませんでしたが、当時Aランゲ&ゾーネを復興したてのギュンター・ブルムラインだけは興味を持ち、率いていたIWCの125周年記念に合わせて125本の製作依頼をかけるつもりでいたという逸話が残っています。実現化はされませんでしたが、いずれ世界を驚かせる作品のプロトタイプとして強い魅力を既に放っていたと思われます。
4-3.浅岡肇 オデッサトゥールビヨン
オデッサトゥールビヨンはハイジュエラーTASAKIと独立時計師浅岡肇のコラボレーションで生まれたモデルです。2014年にTASAKI Timepiciesとして、全11型の新作を一気に発表しました。オデッサトゥールビヨンはそのうちの一つとなります。
オデッサトゥールビヨンは宇宙を表現したモデルで、ホワイトゴールドを象嵌したあこや真珠を月の満ち欠けを表現したムーンフェイズ、ブラックMOPに大小のダイヤモンドを散りばめることで銀河の星々を表現しています。トゥールビヨンを支える軸は惑星の軌道を、針はロケットを彷彿とさせます。
TASAKIはオデッサトゥールビヨンを設計するのに宇宙を表現したデザインに加え、JAPAN MADEにこだわりました。浅岡肇は設計・製造を自ら行い各パーツも手造りするため、紛れもなく日本で作られておりTASAKIの求めるクリエイティブかつ確かな品質へのこだわりにマッチしています。TASAKIのジュエラーとしてのデザイン性と浅岡肇のクリエイティブが上手く融合しており、話題となった一本です。
4-4.フィリップ・デュフォー シンプリシティー
シンプリシティーはその名の通り、シンプルな3針です。しかし究極の3針時計です。2000年に発表され、これまで200本を製作し今では製作はストップしているものの、購入を希望する人が非常に多く、世界中のオークション等で高額で取引されています。
シンプリシティーは基本に忠実な設計で、考えうる最高の工作精度でつくられた時計です。一見簡単に聞こえますが、現代のブランドビジネスによる時計製造の現場ではコストや技術、彼のような伝統的な時計づくりを行う時計師がいなくなってしまっています。
全てのパーツはジャンシャンの茎で磨き上げられますが、たった一つの部品を磨くのに100時間以上をかけることもあります。この磨きは外観の美しさだけではなく余分な応力を一切排除することで、子々孫々まで使うことのできる代々受け継ぐことのできる時計となります。
4-5.ハブリング2 CHRONO MONO 36mm
CHRONO MONO 36mmはHabring2が手掛けたワンプッシュクロノグラフモデルです。クロノグラフの操作全てをプッシュボタン一つで行うため、一度目作動スタート、二度目ストップ、三度目リセットの順で動作します。プッシュボタンが一つないだけでデザイン上非常にスッキリして見えることと、卓越したヴィンテージモデルのような風格を感じさせます。
ケースサイズは36mmと小ぶりです。Habring2自体が36mmか42mmケースの2種類を採用していたこともあり、42mmモデルでも展開されています。ブレゲ数字のインデックスと渦巻状のタキメーター、ブルースチールの針など1930〜40年代を想起させるデザインとなっています。ムーブメントはETA7750ベースに改良したCal.A08-MONOで、クロノグラフ系に精通したリチャード氏ならではの安定した機構を楽しむことができます。
5.【独創的で強いこだわり】独立時計師
独創的で強いこだわりをもつ独立時計師についてまとめました。ブランドに所属せず自分が納得できる時計づくりにひたすらこだわり続ける独立時計師の姿は、現代に残るキャビノチェそのものです。時計愛好家としては大手ブランドとは違った魅力を放つ独立時計師の時計を一本持っておきたいという方も多いのではないでしょうか。見かけた際にはぜひ一度手に取ってみてください。