2024年6月21日
エディ・スリマンってどんな人?メンズウェアの革命児の歴史と功績
ブランド
Dior homme(ディオール・オム)やSaint laurent(サンローラン)のデザイナーとして数多くのブランドを改革してきたエディ・スリマン。
現在はセリーヌのクリエイティブデザイナーを勤めていますが、今期を最後に退任するのではないかという噂があり、今後の動きに注目が集まっています。
本記事では、エディ・スリマンがどのような人物なのか詳しく解説していきます。彼のファッション業界での活躍からフォトグラファーとしての一面など、幅広く解説していますのでぜひ最後までご覧ください。
目次
1.独学でファッションを学んだエディ・スリマンの経歴
エディ・スリマンは21世紀を代表する天才デザイナーの1人です。いくつものブランドを渡り歩いてきたエディ・スリマンですが、彼のスタイルの特徴である細身でロックなファッションは、変わらず多くの人を魅了してきました。
この章では彼のこれまでの功績、歴史について振り返っていきます。
1-1.【幼少期】母親と洋服を作っていた子供時代
1968年5月のフランスで、イタリア人の母親とチュニジア人の父親から生まれました。母親がドレスメーカーであったことで、小さい頃より服作りに励みました。エディがデザインをスケッチし、2人で一緒に生地を買いに行き、母親が裁断して作品を作っていました。
エディ・スリマンは、幼少期から体が小さく細身だったことがコンプレックスとしてあり、それを隠すのではなく、その体型をむしろ強調するような服作りをしていました。彼がディオールやサンローランで活躍するアイデンティティが、ここから培われたといえます。
1-2.【学生時代】フランスでも難関のパリ政治学院に入学
ファッションでの競争が激しすぎると考えたエディは、代わりに政治学を学びジャーナリズムの道を選びました。世界でも2番目に入学難度が高いフランスの名門校「パリ政治学院」に入学し、卒業した後は美術史を学ぶため「ルーブル美術学校」に入りました。
「孤高」「天才」と称されることの多いエディ・スリマン。ファッションの正式な教育を受けておらず、服作りに対しては「独学」であったことが特徴です。また、小さい頃からロックンロールとカメラに熱中し、その哲学が後の彼のスタイルの基盤を作ったといえます。学問にも秀でていたことから、彼の才能が多彩だったことがわかるでしょう。
1-3.【1992年-1995年】 ジョゼ・レヴィやジャン・ジャック・ピカールのもとで働く
ルーブル美術学校を卒業したあとも、ファッションに対する熱意を捨てきれず、フランスのブランド「ジョゼ・レヴィ」に勤め、下積み時代を迎えます。
その後フランスファッション界の巨匠であるジャン・ジャック・ピカールに師事し、彼が参加したルイヴィトンの「モノグラム・キャンバス」プロジェクト100周年記念にもエディは携わっていました。
1-4.【1997年-2000年】 イブ・サンローランで本格的にキャリアスタート
イブ・サンローランの創設者であるピエール・ベルジェがメンズウェアデザイナーを探していたころ、ピカールがエディスリマンを紹介し、アートディレクターとして働くことになります。
当時メンズデザインに乏しかったイヴ・サンローランに「神秘的」で「破壊的」なエッセンスを組み込んだユニセックスなスタイルを多く提供しました。過剰な装飾に基づくのではなく純粋なシルエットやカット、プロポーションで違いを表す特徴的なスタイルは、このころから既に頭角を表していました。
また、「メンズウェアに乏しいブランドをリブランディングする」という彼の真骨頂がスタートしたのもここからといえます。
その後イブ・サンローランで順調にキャリアを積み重ねると思われていましたが、2000年に彼は同メゾンを去ることになります。その当時グッチグループによる買収劇がファッション界で相次ぎ、イブ・サンローランもその対象でした。
当時を振り返る2004年のインタビューでエディは「テニスのボールのようになりたくなかった」と話しています。自分は自分であるべき、という彼のデザイナーとしての哲学を感じることのできる退任だといえるでしょう。
1-5.【2001年-2007年】 ディオール・オムでメンズウェアに革命を起こす
イブ・サンローランでの実績が認められたエディは、クリスチャン・ディオールのメンズライン「ディオール・オム」の誕生と共にクリエイティブディレクターに就任します。ディオールのメンズラインに「ロック」と「少年性」を組み込み、一大旋風を起こすことになりました。
ディオール・オムは、全体的に細身なシルエットが特徴で「スキニーパンツ」や「テーラードジャケット」「ナロータイ」といったシンプルでモードなファッションを多く手掛けました。
細身であった有名なエピソードとして、FENDIやCHANELをなどを手掛けたカール・ラガーフェルドが、エディの服を着るために40kgのダイエットをしたといいます。
エディ・スリマンの功績は、モードファッションを日常のワードローブに落とし込むということをやってのけたことです。
コレクションブランドといえば、コンサバティブな「ショー用の服」がほとんどでした。エディが作り出すディオール・オムは、これまでにないくらいにモードでスタイリッシュでありながらも、普段使いができる身近なものに仕立て上げました。
エディの手掛けていた2001年から2007年のディールオムの期間は「エディ期」と呼ばれ、売り上げが40%以上向上するなど、ディオールのメンズラインの黄金期となりました。
筆者も2005年の15歳の頃、ファッションに興味を持ち始めた頃ですがどのブランドでも「スキニーパンツ」を発売していたのを思い出します。エイプリルなどもそうですし、ユニクロでもスキニーが出始めたのもこのころで、世界中のファッショニスタがスキニーを履いていました。
2007年AWを最後にエディは契約を更新せず、ディオールを離れその役割をクリス・ヴァン・アッシュに引き継ぐことになります。
その後フォトグラファーの旅に出て、ファッション業界から完全に身を置いたと思われたのですが、5年後サンローランにてキャリアを再開することになります。
1-6.【2012年-2016年】 サンローランにカムバックし、初のメンズ・ウィメンズ総合ディレクターに
2012年3月、イブ・サンローランとその親会社であるkering(ケリング)グループはステファノ・ピラーティの退任に伴い、エディ・スリマンをクリエイティブディレクターとして就任することを発表します。
エディ自身初となるウィメンズのデザインも担当し、アクセサリーやショップ展開、店舗の内装などもサポートしました。
エディは就任すると共に、イブ・サンローランの有名なロゴマークである「カサンドラ」(YSLを重ねたロゴ)を廃止し、「サンローラン・パリ」に一新しました。※コスメラインなど一部ではカサンドラを現在でも利用します。
コレクションには「ライダースジャケット」「ミリタリーパーカー」「ミニスカート」「ブーツ」などが加えられ、これまでのパッシヴなサンローランのイメージを一新することになります。
ディオール・オムの時期と同様「ロック」と「少年性」を徹底的に追求したスタイルは変わらず、さらに細いシルエットと色濃いロックなスタイルを多く発表していました。
サンローランは一気に若者の憧れになり、スキニーデニムやレザージャケット、リングブーツなどが記録的な売り上げを見せました。
就任前と比べて売り上げを約1.3倍増加させ、売上が伸び悩むGUCCIグループの中でも1.2位を争うブランドへと転身させたのです。
エディは創業当時のサンローランを取り戻すという「原点回帰」を目指しており、「サンローランパリ」という変更後のロゴも創業当時のロゴマークをオマージュしたものでした。エディが行った大幅な改革は、2012年に亡くなった創業者ムッシュ・イブへの侮辱だと批判する声もありましたが、それらの批判は全く見当はずれなもので、エディはムッシュ・イブを誰よりもリスペクトしていました。
その表れとして、エディはムッシュ・イブが大事にしてきたオートクチュールのアトリエを三年かけて改修しています。フランスのパリ14世時代(1600年代)に建てられた荒廃したフランス調の庭園などを3年かけて改装し、当時のフランスを再現させました。ムッシュが大事にしてきたアトリエを復活させたエディ・スリマンは、誰よりもサンローランの歴史、そして創業者への敬意を示しているといえるのではないでしょうか。
しかしそのアトリエにて、自信最後のコレクションとなる2016年AWレディースコレクションを発表し、その役割をアンソニー・ヴァカレロに任せサンローランを去ることになります。
1-7.【2018年-現在】新生セリーヌの誕生のためクリエイティブディレクターに就任
2018年、LVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)はセリーヌのクリエイティブディレクターにエディ・スリマンが就任することを発表します。
セリーヌはそれまで一度もメンズラインを持ったことがなかったため、メンズラインの革命児であるエディの着任は各方面で注目を浴びることになりました。
サンローラン期と同様ロゴを一新。フランスの強調記号を無くし、シンプルなロゴマークへと刷新しました。タイトでロックなシルエットのスタイルを多く手がけ、代表作である「トリオンフ」など女性用のバッグなども大ヒットしました。
女性向けというイメージが強かったセリーヌは、エディの改革によってイメージがガラリと変わり多くの男性がセリーヌのアイテムを欲するようになりました。エディらしいミニマルな要素はそのままにエッジの効いたデザインが多くなっており、熱狂的なファンのことを「エディ系男子」と呼ぶなど、若い層に大きく支持されています。
2022年6月にはパレ・ド・トーキョーにて2023SSコレクションを発表。その場所は20年前にディオール・オムの2004AWコレクションを発表した場所と同じでした。その時のインタビューでは「この組織に敬意を評し、メンズウェア改革のこの瞬間を思い出したかった」と語っています。
2023年頃からエディ・スリマンはセリーヌのクリエイティブディレクターを退任するのではないかという噂が流れており、後任が誰になるのか、そしてエディはどこへ行くのかということに注目が集まっています。
2.ロックスタイルと少年性が特徴のエディ・スリマンの名作たち
エディが提案するファッションスタイルの特徴は、ロックと少年性の融合にあります。
細身なライダースジャケット、スキニーパンツ、ナロータイ、ブーツなど、どのブランドにおいてもエディの手掛けるスタイルは若者を中心に高い評価を得てきました。
ディオール・オムで登場したスキニーデニムは特に印象的で、世界にスキニー旋風を巻き起こしました。
この章では、エディが手掛けた代表的な作品をブランドごとに解説していきます。
2-1.ディオール・オム期
エディが在籍していたのは2001年から2007年の間で、その期間のことを「エディ期」と呼びます。
ディオール・オムのコレクションタイトルは以下のようになっています。
2001 AW 「SOLITAIRE」
2002 SS 「BOYS DON’T CRY」
2002 AW 「REFRECTION」
2003 SS 「FOLLOW ME」
2004 AW 「VICTIM」
2004 SS 「STRIP」
2005 SS 「BECK」
2005 AW 「GLAM」
2006 SS 「MODS/SKA」
2006 AW 「these grey days」
2007 SS 「we look good together」
2007 AW 「80’ new wave」
デストロイコーディングデニムなどの名作が多い04SS「STRIP」やエディの集大成ともいえる05AW「GLAM」、ラストシーズンを飾る07AW「80’ new wave」が特に人気の高いコレクションです。
2-1-1.デストロイコーディングデニム 2004SS
言わずと知れた名作デニムであるデストロイコーティングデニム。
エディ・スリマンの代表作といえばこのデニムをあげる人も多いのではないでしょうか。
2-1-2.アイスブルーシリコンコーティングデニム 2004SS
ロックなテイストのダメージ加工とタイトなシルエットが特徴のパンツ
こちらもエディ期を代表する作品となっています。
2-1-3.ナポレオンジャケット 2003AW
エディ・スリマンはナポレオンジャケットを流行させたことでも有名。
2003年以降、ディオール・オムに影響された多くのブランドがナポレオンジャケットを出していました。
2-1-4.スモーキングジャケット 2004SS
「スモーキングジャケット」とは、フランスでいう「タキシード」とほぼ同義語として扱われています。エディといえばスモーキングジャケットを連想する人も多く、エディ好きにとってはたまらない1品です。。
2-1-5.サイドジップブーツ 2004AW
04AWがディオール・オムの黄金期であるといわれることが多いのですが、その理由はブーツなどにおいても完成度が高かったからと言われています。
シンプルかつロックテイストのあるエディらしさ全開のこのブーツは、今でもファンの間で人気が高い作品となっています。
2-1-6.4ポケットラムレザージャケット 2007AW
ウエスト周りはタイトなシルエットですが、袖部分が少しふっくらしているミリタリーっぽさを感じるレザージャケット。
下のクロスポケットレザーとよく比較されますが、サイズ感やシルエットなどで好みが別れます。
2-1-7.クロスポケットレザーブルゾン 2006AW
エディ・スリマンはレザージャケットを多く製作してきましたが、06AWのクロスポケットレザーブルゾンが最高傑作と呼ぶ声もあります。
シンプルながら上品な作品であり、エディの持つ「ハイブランドを日常のワードローブに」というポリシーを表すようなブルゾンです。
2-1-8.jake 2007AW
言わずと知れた名作デニムである「jake」は、エディ・スリマンが繰り出してきたこれまでのコレクションの中でも1、2位を争うほどの人気アイテムです。
スキニ―の中でもかなり細めに作られており、股下は海外ブランドの中でもかなり長いので、購入する時はサイズをしっかりと考えたうえで購入しましょう。
2-1-9.腕時計「シフル・ルージュ」
2004年に発表されたディオール・オム初のメンズウォッチ「シフル・ルージュ」は今年2024年に新しく後継機モデルが発売されています。
ケースの右サイドがよく見るとアシンメトリーとなっているのがシリーズ最大の特徴。細めの針とコンパクトなケースのシルエット、シルバーとブラックを基調としたモノクロな雰囲気など、エディを体現しているような腕時計です。
2-2.サンローラン期
5年振りにファッション界に帰ってきたエディ・スリマンは、「ロック」と「少年性」がより強いものになっていました。シルエットはさらに細く、デザインはディオールオムに比べてまとまった印象です。
2-2-1.L01モーターサイクルジャケット
サンローラン期の名作といえばこのL01。ライダースの中ではかなり細いシルエットなので、ジップをオープンにしたシャツを見せるカジュアルなスタイルでも充分着こなせます。
ロックな印象のあるレザージャケットですが、サンローランが作る上品な雰囲気が、エディと上手くマッチしている作品です。
2-2-2.L17モーターサイクルジャケット
正面のジップがシンメトリーに2つ配置されているのが特徴のL17モーターサイクルジャケット。2013SSに発表されたレディース用のものが、2013AWにてメンズ向けに発売されました。
ジップを閉じるとシングルライダースライクに、ジップを少しあけるとダブルライダースライクに使えるので、2つの顔が楽しめるジャケットになっています。
2-2-3.ダブルチェスターコート
サンローラン期のエディは、よりタイトでシンプルな服作りをしていました。コートにおいても例外ではなく、こちらのアイテムもかなりスリムなアイテムとなっています。
エディのファッションは、エディ一式だけで揃えても統一感があってかなりかっこよくなります。こちらのコートは、エディのスキニーやブーツと合わせたいですね。
2-2-4.テディジャケット
テディジャケットとは、細身なスタイルにフィットするブルゾンのことを指し、エディ・スリマンが作り出したシリーズです。
こちらは2013AWに発表されたものですが、エディは2014SS、セリーヌでの2019AWでも同様のテディジャケットを出しており、エディ好きなら1着は持っておきたいですね。
2-2-5.ワイアットチェルシーブーツ
黒を基調とするロックテイストのブーツはサンローラン時代も出しており、こちらのワイアットブーツも名作として知られています。
上質なラムレザーが使われていて、普段使いでも問題なく使用できるものになっています。
2-2-6.スキニージーンズ
エディがサンローランにカムバックしてから初のコレクションである2013AWで、「変わらないエディスタイル」を見せつけた作品の1つ。
サンローランはエディが去った後でもスキニーを出し続けており、黄金期を築いたエディの影響力の大きさが分かります。
2-3.セリーヌ期
セリーヌでもメンズ、レディース両方を手掛けているエディですが、のちに定番アイテムとなる数々のバッグを作っています。
2-3-1.トリオンフ
出典:Celine
トリオンフは「凱旋」を意味するフランス語で、凱旋門を囲う鎖からインスパイアされたX字のマークが特徴的。
写真で紹介したシンプルなショルダーバッグから、トリオンフマークが押し出されたキャップやハットなど、セリーヌを代表するアイコンとして多くの名作が生まれています。
2-3-2.16(セーズ)
出典:Celine
エディ・スリマンがセリーヌに来て初めてデザインしたバッグがこの『16(セーズ)』です。シンプルで丸みを帯びたデザインは、プライベートだけでなくオフィスでも使えるものになっています。
『ミニ16(セーズ)』や『ティーンソフト16(セーズ)』など、数多くの後継モデルが出ている大人気シリーズになり、女性バッグの定番アイテムとして知られています。
2-3-3.C(セー)
トリオンフ、『16(セーズ)』と並んでセリーヌの大人気バッグなのがこの『C(セー)』シリーズ。「C」のロゴが特徴で、無駄な装飾がないシンプルでスッキリとしたデザインに、金のチェーンが大人びた雰囲気を醸し出します。
2-3-4.ユニセックスセットアップ
セリーヌのセットアップは、男女兼用で使えるのがポイントで、こちらもスリムな男性から女性まで使えるデザインとなっています。
エディ・スリマンが多く手がけてきたナロータイとも合い、モードの完成形ともいえる美しさが好評でした。
2-3-5.ダブルボタントレンチコート
出典:Celine
チェック柄のロングコートとしてセリーヌで大人気のコート。こちらはウィメンズの商品ですが、メンズにも代用できるほど完成されたデザインとなっています。
上品で大人っぽいイメージのあるセリーヌ本来のイメージに、タイトでロックなエディの哲学が合わさっているような、今のセリーヌを表しているようなアイテムです。
2-3-6.ロゴTシャツ
セリーヌのロゴが描かれてる、セリーヌで大人気のTシャツ。若者を中心とするエディ系男子に大人気のTシャツで、インナーとしてもこれ1着だけで着てもカッコいい商品です。
3.フォトグラファーとしての顔を持つエディ・スリマン
エディ・スリマンを語るうえで外せない要素の1つが、フォトグラファーとしての顔です。現セリーヌでは、広告用写真としてアンバサダーモデルの写真を自ら撮影するなど、自らのブランドにも大きな影響があります。
この章では、エディ・スリマンにとっての「趣味」であり「本業」のフォトグラファーとしての一面をご紹介します。
3-1.カメラを持ったのは11才の時
エディはファッションに興味を持つ前から、撮影を始めていました。カメラを持つ動機は「退屈」であったと、インタビューで語っています。
初めて撮った写真は、「廃屋と折れた枝」。まだ何者でもなかったエディの、ポッカリ空いた空虚を表しているようなエピソードです。
そこから友人のポートレートを撮るようになり、それらは全てモノクロ写真で、現在でも写真スタイルは変わっていません。大学時代でも写真クラブで友人たちと撮影を続け、小さな研究室で写真を引き伸ばし、現像するのを楽しんだそうです。(当時フィルムを現像するには引き伸ばし機が必要でした)
3-2.2002年には初のモノクロ写真集「berlin」を発表
出典:アマゾン
ファッション業界に入ってもフォトグラファーとしての活動は続け、自ら手掛けるブランドであるディオールやサンローランの中でも、ビジュアルフォトとして自ら撮影をしていました。
エディは2000年以降自らの作品の展示会も開いており、2002年には初めてのモノクロ写真集「berlin」を世に出しています。無名のロックバンドを追いかけるのが趣味で、アマチュアリズムが輝く一瞬一瞬が彼のインスピレーションになっているのだそうです。
3-3.2008-20011年の間フォトグラファーとして世界を旅する
2007年にディオールを退任後、ニューヨークタイムズのインタビューにて、「自分の次のキャリアはフォトグラファー」と答えています。この期間、エディは本格的にフォトグラファーとして世界を周りました。その様子は公式サイト「Hedi slimane diary」で見ることができます。
その頃のエディは39才なので、28年越しの一つの夢が叶ったといえるかもしれません。
4.ロックバンド好きのエディ・スリマン
彼はロックンロールを聞いて育ち、それが彼のファッションを作り出す原動力となっています。彼のコレクションのモデルには、新進気鋭のインディーズバンド達が多く採用されました。
この章では、エディとロックバンドとの関わりについて解説していきたいと思います。
4-1.幼少期からデイヴィット・ボウイ、ポール・ウェラーなどを聞いて育つ
エディは小さい頃から細身の体にコンプレックスを持っていましたが、それを吹き飛ばしてくれるような「現代への反発」「反抗」を表すロックバンドに強く影響を受けたと語っています。
ロックバンドのライブを見る中で目に入ってくるレザージャケットやタイトなスタイルは彼のアイデンティティに大きな影響を与えました。
4-2.ザ・リバティーンズやベックなどのライブ衣装を手掛ける
出典:アマゾン
エディはこれまで愛してきたロックンロールへの感謝を、ファッションで恩返しをできないかと考え数多くのミュージシャンのライブ衣装を手掛けてきました。
ザ・リバティーンズ、ダフト・パンク、フランツ・フェルナンド、ザ・キルズなどのグループや、ミック・ジャガー、ベック、ジャガーホワイトなどのソロアーティストのステージ衣装も提供しています。
2002年4月にはファッション界のアカデミー賞といわれている「CFDA国際デザイナー賞」をデヴィッド・ボウイが受賞しており、そのステージ衣装を作り出したのもエディ・スリマンでした。
4-3.ランウェイ用に様々なロックンローラーが楽曲を担当
出典:Hambeck
エディ・スリマンのファッションの特徴である「ロック」なスタイルを象徴するように、ショーではお気に入りのロックミュージックをかけることで知られています。
ベックやレディメイドFCなどのアーティストが楽曲を提供しており、担当したバンドが~期と呼ばれるなど、彼のコレクションを印象付けるのに貢献しました。(2005SSはベック期)
5.公の場にあまり出ないエディ・スリマンの隠れた私生活
公の場に出ることが少ないエディ・スリマンですが、この章ではエディ・スリマンの気になる私生活について調べたものを解説していきます。
5-1.エディ・スリマンは結婚している?
調べた限りではエディ・スリマンは結婚していないようです。過去の恋人との噂も調べたのですが、それらしいものはありませんでした。
これだけ魅力的な人間にもかかわらず、浮いた噂が無いということは、彼は本当にファッションとフォトグラフに心血を注いでいるのでしょうね。
5-2.エディ・スリマンの年収はどれくらい?
現在の年収はわかっていませんが、2012-2016年のサンローランとの契約では年収1000万ユーロ(約12億円)でした。
また、2018年に売り出したロサンゼルスの豪邸が1750万ドル(約20億円)であることを考えると、一流のセレブであることは間違いないようです。
※2018年にエディ・スリマンは当時の報酬が支払われていなかったとして、親会社ケリングを相手とり裁判を起こし勝訴しています。
5-3.エディ・スリマンが愛用しているカメラは?
出典:SONY
エディ・スリマンが最近使用しているカメラは、ソニーのA7だと言われています。ディオール・オム時代にはパナソニックの「DMC-LC1」を愛用していたことで知られています。
6.エディ・スリマンの私服は古着が多い?
レザーライダースに、タイトなジーンズ、ナロータイ…エディ・スリマンの私服というとそういったイメージをされる方も多いのではないでしょうか。
しかし、エディの私服を追ってみると意外にもカジュアルでアメカジテイストな洋服を好んでいることがわかります。彼の服作りのルーツが古着にあることが理由で、古着のバンドTシャツなども好んで着ているようです。
6-1.nasaやGod spellなどの80年代のバンドTシャツ
エディは古着好きであることで知られていますが、プライベートでは主にバンドTシャツを着ているようです。左のGod spellのTシャツは、熱狂的なエディ信者にはとても有名なアイテムで、マニアックなファンであればぜひ手に入れたい一品です。
6-2.LEEやWranglerなどのデニムジャケット
エディの残っている写真では、昔であればあるほどGジャンなどのアメカジの色が濃くなります。コレクションなどで公の場に出る際のエディは、テーラードにスキニーなどのシュっとしたイメージが強いですが、私たちの知らないプライベートのエディは、今でも古着を着ているのかもしれませんね。
6-3.Levi”sの606デニムパンツ
ディオールの時のカール・ラガーフェルドがダイエットに成功した後に撮られた写真。このころも意外に結構ラフなデニムを着ていて、自らが手掛けるディオール・オムの作品とのギャップがあって驚きます。
6-4.Converseのオールスター
今では革靴や、ブーツなどの自作のものを履くことが多いですが、古い写真を見ていると、私服で履いているであろうコンバースなどもつけているのをよく見ます。
完全にプライベートなエディもちょっと見てみたいかも?
6-5.愛用時計はRolexの「エアキング」
エディ・スリマンが愛用している腕時計は、ロレックスのパイロットウォッチの1つである「エアキング」のアンティークもの。
ディオール・オムやサンローランを手掛けたデザイナーということを考えると、エアキングというチョイスはかなり意外。個人的な好みや思い出があるかなど、本人に直接聞いてみたいところです。
7.世界的なスターとの交流も多いエディ・スリマン
あまりメディアに出ないことで知られているエディ・スリマンですが、彼のクールでロックなスタイルは多くの業界人を魅了しているようです。
ここでは、エディ・スリマンの世界的スターとの交流を紹介していきます。
7-1.ブラッド・ピットの結婚式のドレスを手掛ける
2000年7月30日、ハリウッドスターであるブラッド・ピットとジェニファー・アニストンが結婚式をあげた際、新郎が着ていたタキシードをエディ・スリマンが手掛けました。
どういった縁があったのかというのはわかっていませんが、ブラッド・ピットも大のロック好きなことを考えると、2人には通じるものがあったのかもしれません。
ちなみに、新婦のジェニファーは白いサテンのロングドレスを着ていましたが、それをデザインしたのは現「マルニ」のデザイナーであるローレンス・スティール。
7-2.マドンナやニコール・キッドマンの衣装を手掛ける
ディオール在職中、エディは婦人用の服を作ったことはありませんでしたが、マドンナやニコールキッドマンの衣装を手掛けたことがあり、その経験がサンローランでのレディースへの挑戦に役立ったそうです。
他の女性有名人との関わりでいえば、ミュージックスターのレディ・ガガの2009年のアルバム「ザ・モンスター」のCDカバーをデザインしたこともあります。
7-3.BTSのテテをプライベートジェットで招待
2018年にエディがセリーヌのクリエイティブディレクターに就く前より、テテとエディは交流があり、のちにプライベートジェットでパリに招待するなど仲が良い関係のようです。
写真好きとして知られるテテは、SNSで「Vidi slimane diary」というタイトルでモノクロ写真を投稿するなど彼へのリスペクトを示しています。
エディの好きなボブ・ディランやジャック・ホワイトを彷彿とさせるセリーヌの衣装に身に纏うテテは、その完璧な顔立ちもさることながら、心なしか喜んでるように思えます。
7-4.new jeansのダニエルを撮影
2024年3月、セリーヌが韓国アイドルであるニュージーンズ(new jeans)のダニエル(danielle)をグローバルアンバサダーに採用することを発表しました。
オーストラリア人と韓国人のハーフであるダニエルの人形のような整った顔立ちが、エディの作るロックでモードな雰囲気とマッチして、エレガントなカッコよさを醸し出します。
8.エディ・スリマンが影響を受けた名作映画たち
2020年4月、セリーヌが映画のオンラインストリーミングサービス「MUBI」と共同し、エディ・スリマンがオススメする名作映画10本をピックアップしました。
ラインナップは
・「大人は判ってくれない」(フランソワ・トリュフォー/1959年)
・「ナイトタイド」 (カーティス・ハリントン/1961年)
・「シャレード」 (スタンリー・ドーネン/1963年)
・「赤い砂漠」 (ミケランジェロ・アントニオーニ/1964年)
・「気狂いピエロ」 (ジャン・ジャック・ゴダール/1965年)
・「仮面/ペルソナ」 (イングマール・ベルイマン/1966年)
・「仁義」 (ジャン・ピエール・メルヴィル/1970年)
・「地獄の黙示録」 (フランシス・フォード・コッポラ/1979年)
・「パリ、テキサス」 (ヴィmu・ヴェンダース/1984年)
・「わたしはロランス」 (グサヴィエ・ドラン/2012年)
となっています。ここでは、映画好きである筆者が特にエディとの親和性の高いと判断した3つを紹介したいと思います。
8-1.ジャン・リュック・ゴダール監督の「気狂いピエロ」
出典:アマゾン
「気狂いピエロ」は、名画「勝手にしやがれ」でタッグを組んだゴダールと主演ジャン・ポール・ベルモンドのフランス映画です。ジャンが演じるリストラされたサラリーマン「フェルディナンド」と女優アンナ・カリーナが演じる元恋人役の「マリアンヌ」がギャングから追われる逃亡劇を描いています。
ロサンゼルスに拠点を持つことから「パリ嫌い」と噂されることもあるエディですが、フランスの美しい風景を描いたこの作品をピックアップしてるのをみると、故郷への愛を感じることができるのではないしょうか。
劇中にあるフェルディナンドの名セリフ「僕らは夢で作られ、夢は僕らからできている」は、自分のやりたいように生きている自由なエディのルーツをどこか感じることのできるセリフです。
8-2.ヴィムヴェンダース監督の「パリ、テキサス」
出典:アマゾン
フランス映画「パリ、テキサス」は、4年前に妻と離婚し子供とも離れ離れになっている主人公トラヴィスが、心身ともにボロボロに苦しみながらもアメリカを旅しまた再開を目指していくという物語です。
ラストシーンの妻のジェーンと鏡越しに語り合うシーンは、エディ好きでなくても是非見てほしい感動的なシーンです。子供への向き合い方、元妻への嫉妬心、仕事と家族に板挟みになる心情など、現代に生きる我々にも刺さる映画となっています。
この映画の「パリ・テキサス」という名称はアメリカのテキサス州のパリスという街のことであり、フランスのことを指すものではありません。どこか頼りない主人公というところは、二作品で共通していますが、エディにはどこか迷いのある主人公に惹かれるところがあるのかもしれません。
8-3.カーティス・ハリントン監督の「わたしはロランス」
出典:アマゾン
ゲイでもホモセクシャルでもないが、男として生きることに息苦しさを感じている主人公ロランスと、恋人のフレッド共に生きる道を探していく物語です。
単純なLGBTを描いた映画というわけではなく、恋愛対象は女性ではあるものの女性の格好をしたい、といったクロスドレッサーの内面を描いている映画です。また、恋人のフレッドも主人公は愛しているが普通の男性と恋愛をして結ばれたい、といった周りの人間の戸惑いや理解の難しさなども細かく描写されています。
エディの心を打つ映画はどれも、主人公が内面に複雑な感情があって悩んでいるというところで共通しています。エディも細身の体や内気な性格というコンプレックスがあったと語っていますが、自分に重ねているところがあるのでしょうか?
9.セリーヌを退任?いつまで?シャネルに行く噂ってホント?
エディ・スリマンは、2024年5月のAWメンズコレクションを最後にセリーヌのクリエイティブディレクターを退任するといわれており、正確な時期には不明ですが、今年の後半頃になるとみられています。
エディの今後の活動はどうなっていくのでしょうか?エディ・スリマンはここ10年間ほど、親交が厚かった元シャネルの皇帝・故カール・ラガーフェルドとの関係から、シャネルに行く噂が絶えませんでした。
今年6月6日にシャネルは5年間アーティスティックデザイナーを務めたヴィルジニー・ヴィアールを解任することを発表していて、もしかしたら今年中にもエディ・スリマンの手掛ける「シャネル・オム」が誕生するかもしれません。
他の候補でいえば、昔からエディ・スリマンは自分のブランドを立ち上げるのではないかと言われています。彼がオリジナルブランドを作成するとすれば、ファンにとっては待ちに待った発表となるといえるでしょう。2007年にディオールを去る時にオリジナルブランドを創設する話が持ち上がりましたが、製作会社との折り合いがあわず無くなってしまいました。
ですが、本人のインタビューでは「自らの名前を使うときはフォトグラファーとしてだけだ。今の私のファッションへの情熱は、LVMH(セリーヌの親会社)に尽くすことだよ」と語っています。彼が「エディ・スリマン・オム」を立ち上げる可能性は薄いかもしれません。
最もファンが悲しむことになるのは、このままファッション業界を引退してしまうことでしょう。いつも自らが手掛けたブランドの最盛期にその場を離れ、自由に生きてきたエディですから、今後の予想をすることは大変に難しいですが、どうかまだファッション界に携わってほしいと思うところです。
まとめ
いかがでしたでしょうか。本記事では、エディ・スリマンのこれまでの歴史、功績から、プライベートの話など、彼の外面から内面まで詳しく解説してきました。
エディ・スリマンのファンにとって、彼の魅力が伝わる手助けになれたならとても嬉しい限りです。
では最後に、エディ・スリマンがファッションについて語った名言を残して終わりにしたいと思います。
「ファッションは今、この瞬間であるべきだから」
写真家として、一瞬を切り抜いてきたエディ・スリマンらしい一言ですね。最後までご覧いただき、ありがとうございました。