2026年6月16日
【一覧】シャネルの歴代デザイナー|ココ・シャネルからマチューまで完全解説
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ラグジュアリーファッションの最高峰のひとつに君臨し続けるメゾン、シャネル(CHANEL)。その110年以上の歴史は、独自の伝統を守ることと、時代に合わせた大胆な変革の連続でした。
シャネルは2025年、ボッテガ・ヴェネタを率いた天才マチュー・ブレイジーを現在のクリエイティブのトップに抜擢し、さらなる革新へのステージへと突き進んでいます。
本記事では、創設者ガブリエル・ボヌール・シャネルから現在のマチューにいたる歴代デザイナーの変遷を一覧表とともに徹底解説します。さらに、カール・ラガーフェルドの時代を中心に、メゾンの美学を支えた「日本人」の知られざる貢献の歴史にも迫ります。シャネルが紡ぐ伝統と革新の歴史を、ぜひ最後までお楽しみください。
目次
1.【一覧表】シャネル(CHANEL)の歴代デザイナー
まずは、110年以上の歴史を支えてきたシャネルの歴代デザイナーを一覧で紹介します。また、なぜシャネルのデザイナーが定期的に変わるのかについても解説します。
1-1.歴代デザイナーの在任期間と担当部門一覧
シャネルの輝かしい歴史を築いてきた歴代のデザイナーたちの在任期間と担当部門、そして主な功績を一覧表にまとめました。
本記事では、オートクチュールやプレタポルテを手がけたファッション部門のデザイナーを中心に、ジュエリーやメイクアップなど、シャネルの世界観を形づくってきた主要クリエイターもあわせて紹介します。
| デザイナー名 | 在任期間 | 担当部門 | 代表的な功績・特徴 |
| ガブリエル・ボヌール・シャネル | 1916年~1971年 | オートクチュール、香水、ジュエリー | メゾンの創設者。女性をコルセットから解放し、現代服の基礎を築く。 |
| 4人のアシスタントデザイナー | 1972年~1983年頃 | オートクチュール | 創設者急逝後の暗黒期において、メゾンの高度な職人技を守る。 |
| カール・ラガーフェルド | 1983年~2019年 | オートクチュール、プレタポルテ、広告 | メゾンを現代の最先端へと蘇らせた。ストリート要素の融合。 |
| ヴィクトワール・ドゥ・カステラーヌ | 1984年~1998年 | ジュエリー | カールと共にシャネル・ジュエリーのポップで貴族的な美学を構築。 |
| ピーター・フィリップス | 2008年~2013年 | メイクアップ&カラー | メイクとアートを融合。トープ系ネイル「505」など世界的ヒットを連発。 |
| ルチア・ピカ | 2015年~2020年 | メイクアップ&カラー | 不完全な美を肯定。「赤」を基調としたコレクションで売上を牽引。 |
| ヴィルジニー・ヴィアール | 2019年~2024年 | オートクチュール、プレタポルテ、アクセ | カールの右腕から就任。リアルクローズを追求し、商業的黄金期へ。 |
| マチュー・ブレイジー | 2025年~現在 | オートクチュール、プレタポルテ、バッグ他 | 現ディレクター。クラフトマンシップで伝統を現代的に再定義。 |
1-2.なぜシャネルのデザイナーは定期的に変わる?
ラグジュアリーブランドにおいて、デザイナーの交代はとても重要な戦略です。どれほど素晴らしいアイテムを生み出すデザイナーであっても、同じ人が何十年もデザインを続けていると、ブランドのイメージが固定化されてしまうことがあります。
シャネルのような世界的なメゾンでは、伝統的なスタイルを大切にしながらも、常に新しい驚きや時代の空気を届ける必要があります。そのため、定期的にデザイナーを変えることでブランドに新しい風を吹き込み、価値が下がってしまうのを防いでいるのです。
2.【1916年~1971年】:ガブリエル・ボヌール・シャネル
それでは早速、シャネルの歴代デザイナーを紹介していきます。ガブリエル・ボヌール・シャネル(通称ココ・シャネル)は、1883年にフランスのソミュールという町で極貧の家庭に誕生しました。幼い頃に母親を亡くし、父親にも捨てられた彼女は、厳格な孤児院や修道院で育ちました。
しかし、この修道院で生活するなかで、お針子としての高度な裁縫技術を身につけることになります。修道院の禁欲的な黒と白の衣服は、のちに彼女が生み出すデザインの色彩感覚に大きな影響を与えました。
社会に出た後は仕立て屋で働きながら、キャバレーで歌を歌って生計を立てていました。彼女がよく歌っていた歌のフレーズから「ココ」という愛称が定着します。
その後、恋人たちの支援を受けて1910年にパリのカンボン通り21番地に帽子店「シャネル・モード」を設立します。これがシャネルの歴史の始まりです。1916年には本格的なオートクチュール(高級注文服)のメゾンとして活動を広げていきました。
ガブリエルが世に送り出した、現代の女性に今なお愛され続ける代表的な功績をご紹介します。
2-1.ウールジャージーによる女性の身体解放を提案
ガブリエル・ボヌール・シャネルは、それまで男性の下着や労働者の作業着としてしか使われていなかった「ウールジャージー」という素材に目をつけ、女性用の日常着として仕立てました。当時の上流階級の女性たちは、身体をきつく締め付けるコルセットや、重くて動きにくいドレスを着ることが義務のようになっていました。
ガブリエルは、第一次世界大戦を機に社会進出を始めた女性たちのために、動きやすく機能的で、なおかつ美しい服を提案したのです。これは女性の身体だけでなく、生き方そのものを自由にする画期的な提案でした。
2-2.リトル・ブラック・ドレスを発表
1926年、ガブリエルはファッション界に衝撃を与える「リトル・ブラック・ドレス(LBD)」を発表しました。当時のヨーロッパでは、黒という色は喪服や使用人が着る色とされており、華やかな社交界で着ることはタブーとされていました。しかしガブリエルは、一切の無駄を省いたシンプルな黒いドレスをデザインし、黒を「究極にシックでエレガントな色」へと生まれ変わらせたのです。
2-3.香水「N°5」の創造
1921年、ガブリエルは高名な調香師であるエルネスト・ボーを起用し、メゾン初となる香水「N°5」を発売しました。当時の香水は、バラやジャスミンといった1種類の花から作られた分かりやすい香りが主流でした。
しかし彼女は「女性そのものの香りがする、これまでにない人工的な香水」を求めました。エルネスト・ボーは、当時の最新技術であった合成香料(アルデヒド)を贅沢に配合し、80種類以上の天然香料をブレンドした複雑で神秘的な香りを創り出したのです。試作品の5番目のボトルをガブリエルが気に入ったことから名付けられたこの香水は、今も世界中で売れ続ける傑作です。
2-4.ショルダーバッグ「2.55」を考案
女性の使いやすさを第一に考えたガブリエルは、1955年2月、新しいバッグを発表しました。発表された年月から「2.55」と名付けられたこのショルダーバッグは、それまでの女性用バッグの常識を覆したのです。当時は手で持つハンドバッグが主流で、女性の片手は常に塞がっていました。
そこでガブリエルは、軍人が使っていたバッグのストラップからヒントを得て、バッグに頑丈なメタルチェーンを取り付け、肩にかけられるようにしたのです。両手が自由になるこの斬新なデザインは、瞬く間に世の女性たちの心を掴みました。
2-5.閉鎖的な宝飾界への挑戦
1932年、世界恐慌の真っただ中において、ガブリエルは初のハイジュエリーコレクション「Bijoux de Diamants(ダイヤモンドのジュエリー)」を発表しました。当時の宝飾業界は男性中心の非常に閉鎖的な世界で、衣服のデザイナーが参入することには強い反発がありました。
しかし、彼女がデザインした彗星や星、リボンをモチーフにしたジュエリーは、留め金がなく、女性の身体にしなやかにフィットする自由なものでした。「高価な宝石を自慢するためではなく、女性を美しく飾るためのもの」という彼女の哲学は、古いジュエリー界に大きな革命を起こしたのです。
3.【1972年~1983年】:4人のアシスタントデザイナー
1971年、創設者であるガブリエル・シャネルが87歳で亡くなった後、シャネルは大きな転換期を迎えます。メゾンの象徴だった存在を失い、すぐに新しい時代へ進むというよりも、まずはガブリエルが築いたスタイルや技術を守ることが重要な時期でした。
その時代を支えたのが、ガストン・ベルテロ、ラモン・エスパルザ、イボンヌ・デュデル、ジーン・カゾーボンら、アトリエに深く関わっていたデザイナーや職人たちです。彼らは大きく方向性を変えるのではなく、シャネルらしいシルエットや服作りの技術を受け継ぎながら、メゾンを次の時代へつなぐ役割を担いました。
カール・ラガーフェルドが就任するまでのこの時期は、華やかな革新の時代というより、伝統を守るための期間だったといえます。大きな話題性は少なかったものの、彼らがシャネルの基盤を保ち続けたからこそ、1980年代以降の再飛躍につながっていきました。
4.【1983年~2019年】:カール・ラガーフェルド
「モードの帝王」として知られるカール・ラガーフェルドは、1933年にドイツのハンブルクで誕生しました。若くして頭角を現し、フランスのブランド「クロエ」やイタリアの「フェンディ」で大成功を収めたのち、1983年にシャネルのデザイナーに就任します。
当時のシャネルは人気が完全に低迷していましたが、カールはガブリエルの遺産を単に守るだけでなく、あえて「ユーモラスに解体して再定義する」という破壊的なアプローチで、シャネルを世界一の最先端ブランドへと蘇らせました。
彼が手がけた代表的な作品や、日本との深い関わりについてご紹介します。
4-1.Wフラップ仕様のマトラッセなどを発表
カール・ラガーフェルドは、ガブリエルが考案した「2.55」バッグを現代的に進化させた「Wフラップ仕様のマトラッセ(クラシック ハンドバッグ)」を発表しました。本来の四角い留め具から、シャネルの象徴である「CC」のロゴをあしらった「ターンロック」へと変更し、チェーンにはレザーを編み込んだのです。このデザインはブランドのステータス性を一気に高め、現在でもシャネルを代表するアイコンバッグとして世界中で愛されています。
シャネルのマトラッセについて、特徴や人気の理由を詳しく知りたい方は、こちらの記事もあわせてご覧ください。

4-2.プレタポルテの刷新
カールは、高級注文服だけでなく、既製服であるプレタポルテの分野でも大きな刷新を行いました。それまで高齢の富裕層向けになりかけていたツイードジャケットに、デニムやバイカーブーツ、ヒップホップなどのストリートカルチャーを大胆にミックスしたのです。
「ダブルC」のロゴを全面に押し出すグラフィック戦略や、会場のグラン・パレの中に巨大なスーパーマーケットや宇宙ロケットの打ち上げ台を本物そっくりに作り出す劇的なファッションショーを確立し、世界中に大きな文化的興奮を巻き起こしました。
4-3.シャネルのショーに日本人モデルを起用
親日家であったカールは、東京で開催されたランウェイショーに、トップモデルで知られる日本人の冨永愛を起用しました。アジア人ならではの美しい黒髪や凛としたウォーキング、西洋の衣服を独自の感性で表現する日本人の美意識に、カールは強い確信を持っていました。日本人モデルの活躍は、シャネルの美学が国境を越えた「普遍的なアート」であることを世界に示す大きなきっかけとなったのです。
4-4.Karl Lagerfeld: A Line of Beauty展を日本人建築家がデザイン
2019年にカールが惜しまれつつこの世を去ったあと、2023年にニューヨークのメトロポリタン美術館で、彼の功績を称える回顧展「Karl Lagerfeld: A Line of Beauty」が開催されました。この世界中が注目した大イベントの会場デザインを担当したのが、日本を代表する建築家、安藤忠雄氏です。
安藤氏はカールが描いた美しい「スケッチの線」からインスピレーションを受け、直線と柔らかな曲線が融合した見事な空間を設計しました。カールの偉大な創造性が、日本の巨匠の建築美によって完璧に表現されたこの試みは、シャネルと日本の深い絆を証明するエピソードとなっています。
5.【1984年~1998年】:ヴィクトワール・ドゥ・カステラーヌ
ヴィクトワール・ドゥ・カステラーヌは、フランスの由緒ある名門貴族カステラーヌ家に誕生しました。幼い頃からジュエリーの魅力に取り憑かれており、12歳のときには自分が持っていたブレスレットを熱で溶かし、全く別の指輪に作り替えてしまったという天才的な逸話を持っています。
1984年から14年間にわたり、シャネルのジュエリー部門を担当し、カール・ラガーフェルドの最も信頼できるパートナーとして大活躍したデザイナーです。
5-1.天才肌の貴族が起こしたジュエリー革命
彼女は、それまでの保守的で格式張っていたハイジュエリーの概念を覆し、カメリアやリボン、ダブルCといったシャネルの伝統的なアイコンを、大ぶりでポップ、かつ前衛的な遊び心あふれるデザインへと昇華させました。貴族的な気品をベースにしながらも、自由奔放でラグジュアリーな彼女のジュエリーは、現代のシャネル・ジュエリーの美学的な基礎を築き上げたのです。
1998年にシャネルを離れた後は、クリスチャン・ディオール初のファインジュエリー部門のトップに就任しています。
6.【2008年~2014年】:ピーター・フィリップス
ピーター・フィリップスは、ベルギー出身のメイクアップアーティストです。グラフィックデザインを学んだバックグラウンドを持っており、アートとメイクの境界線を曖昧にするような、構築的で斬新な視覚表現を得意としました。2008年にシャネルのグローバルクリエイティブディレクター(メイクアップ部門)に就任した人物です。
6-1.トープ系ネイル「505」の世界的ヒット
フィリップスは、カールの華やかなランウェイショーとメイクアップ製品をこれまで以上に密接に連動させ、シャネルのビューティ部門を現代的なアートピースへと進化させました。彼の最大の功績として知られているのが、ネイルカラー「品番505 パティキュリエール(PARTICULIERE)」の開発です。
当時、爪に塗る色としては非常に珍しかった、灰色がかったトープ系ブラウンを提案し、これが「外せないモダンでシックな色」として世界中で爆発的な売上を記録します。ラグジュアリービューティの歴史を塗り替える大ヒットとなりました。
7.【2015年~2020年】:ルチア・ピカ
ルチア・ピカは、イタリアのナポリで誕生しました。大学では美術保存や心理学を学んでいましたが、ロンドンへの旅行をきっかけにメイクアップの自由さに魅了されて転身しました。巨匠シャーロット・ティルブリーの第一アシスタントを長年務めて実力をつけ、2015年にシャネルのメイクアップトップに就任したデザイナーです。
7-1.不完全さと個性を肯定するモダンビューティ
彼女は、シャネルのメイクに完璧な美しさをあえて崩す「デコンストラクテッド(解体された)・グラマー」を持ち込み、女性の本質的な強さや個性を引き出すモダンな美を提案しました。特に「赤」という色に対して並外れたこだわりを持っており、彼女が初めて全面監修した「Le Rouge Collection N°1」(2016年)では、アイシャドウやマスカラにまで赤のニュアンスを含ませる革新を行い、大ヒットを記録しました。
カンヌ国際映画祭で女優クリステン・スチュワートの目元を官能的な赤いアイシャドウで彩ったメイクは、今でもビューティ界の伝説的なルックとして語り継がれています。
8.【2019年~2024年】:ヴィルジニー・ヴィアール
ヴィルジニー・ヴィアールはフランスに生まれ、1987年にシャネルのインターンとしてキャリアをスタートしました。それ以来、30年以上にわたりカール・ラガーフェルドの右腕としてアトリエを支え続け、カールのスケッチを実際の衣服へと具現化する役割を主導してきました。
2019年にカールが逝去したことに伴い、創設者ガブリエル・シャネル以来となる女性のデザイナーとして就任しました。
8-1.カール・ラガーフェルドと「CHANEL 19」を発表
ヴィルジニーがカールと共に手がけた最後のコレクションであり、自身の就任を華やかに飾った作品が、2019年に発表されたアイコンバッグ「CHANEL 19(シャネル・ディズヌフ)」です。ガブリエルの「2.55」に敬意を表し、発表された年にちなんで名付けられました。
大きめのキルティングや、ゴールド、シルバー、ルテニウムの3つの異なるメタルを編み込んだボリュームのあるチェーンが特徴です。カールのダイナミックな感性とヴィルジニーの女性らしいリアルな視点が融合したこのバッグは、瞬く間に世界的なベストセラーとなりました。
8-2.伝統的なクラフトマンシップへの回帰と継承
ヴィルジニーの最大の功績は、カールの劇場的な演出から一歩引き、現代を生きるリアルな女性たちの「ウェアラビリティ(着やすさ・実用性)」とロマンチックなフェミニティを融合させた点にあります。彼女は、シャネルが誇る最高峰の傘下工房の職人技(刺繍のルサージュやフェザーのルマリエなど)を、日常に寄り添うモダンな服へと落とし込みました。
この実用的なアプローチは世界中の女性から圧倒的な支持を得て、2023年には年間売上高が約200億ドルに達するという、ビジネス面における最大の商業的黄金期を達成しています。
8-3.ヴィルジニー・ヴィアールの退任理由とは
ヴィルジニー・ヴィアールの退任理由について、シャネルから詳細な説明は公表されていません。
ただ、在任中は商業面で一定の成功を収めた一方、ファッション業界ではデザインの保守性や新鮮さをめぐってさまざまな意見もありました。そうした中で、シャネルが次の時代に向けてクリエイティブを刷新する判断をしたと見ることもできます。
9.【2025年~現在】:マチュー・ブレイジー
マチュー・ブレイジーは、1984年にパリで生まれたフランス系ベルギー人のファッションデザイナーです。ベルギーの名門ラ・カンブル視覚芸術学校を卒業後、バレンシアガやメゾン・マルジェラ、セリーヌなどで経験を積み、ボッテガ・ヴェネタではクリエイティブ・ディレクターとしてブランドの評価を高めました。
2024年12月にシャネルへの就任が発表され、2025年4月に正式に参画。オートクチュール、プレタポルテ、アクセサリーを含むファッション部門を率る存在として、シャネルの次の時代を担うデザイナーです。
9-1.2026年春夏プレタポルテで鮮烈なデビュー
マチュー・ブレイジーは、2025年10月に発表された2026年春夏プレタポルテコレクションで、シャネルでのデビューを果たしました。コレクションでは、シャネルらしいツイードや構築的なシルエットをベースにしながら、素材の見せ方や軽やかな表現に新しさが感じられました。
一見シンプルに見える服の中にも、ニットやシースルー素材を使った繊細な表現が取り入れられており、職人技や素材使いを重視するマチューらしさが表れています。ロゴの強さだけに頼らず、服そのものの完成度でラグジュアリーを見せる姿勢は、今後のシャネルを考えるうえでも注目されるポイントです。
10.歴代デザイナー達が繋いだシャネルの伝統と革新
シャネルが110年以上の長い歴史を紡いできたのは、創設者ガブリエル・シャネルが遺した不変のハウスコードという変わらない伝統を、歴代のデザイナーたちが時代に合わせて変革し続けてきたバランスにあります。
長い歴史の中で、多くのデザイナーたちがシャネルを盛り上げてきました。その軌跡の中には、展覧会を設計した建築家や、ランウェイを彩ったモデルである日本人も刻み込まれています。新たなるマチュー体制のもとで、シャネルは伝統のコードをどのように美しく進化させていくのか、これからの未来に世界中が注目しています。
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